一緒に耐えよう、立ち直ろう!東北! がんばろう!日本!

2013年8月28日水曜日

♪ふ~ゆ~が~は~じまるっよっ....

タイトルは、槇原敬之のヒット曲です。

その歌がヒットした頃は、スキーは修学旅行で楽しんだね♪という程度。

冬が始まるワクワク感なんてこれっぽっちもなく、

むしろ、走れなくなるバイクに名残を感じていた当時のσ(^^です。


さて、今期の障害者アルペンスキー、実際のレースが始まりました。

名実共に「冬が始まった」訳です♪


舞台は南半球、ニュージーランドはCoronet Peakスキー場

障害者アルペンスキーワールドカップの開幕です!(^^


3月にレース全日程を終えて8月に新たな戦いを始めるなんて、

なかなか忙しないスケジュールじゃないですか。


ちなみに、この南半球シリーズの日程は、IPCのWebページにてCheck it!


Coronet PeakSlalom(回転:SL)を2レース、


そして、Mt.huttへ移動してSuper-G(スーパー大回転:SG)と

SuperCombi(スーパー複合:SC)を1レースずつ。


さらにオーストラリア大陸へ移動して、

ThredboにてGiantSlalom(大回転:GS)とSLを2レースずつ。

結構ハードなスケジュールです(^^


そしてそして、このシリーズを終えたら、

その次のワールドカップレースは来年1月!

このサマーシリーズは扱い方が難しそうだな(^^;


このシリーズには、ニュージーランドで「ひとり合宿」をしている、

三澤拓選手が参戦しています。


ジャパン選手が参戦しているとあれば、

「見てきたように」観戦記を書かないわけにはいくめぇってんで、

昨期と同じように始めてしまいます!


「山本新之介のワールドカップを
  まるで見てきたような観戦記!」


IPCが公表するリザルトの情報だけを頼りに、

乗りと勢いで書き綴る!

妄想純度100%!

脳内麻薬全開!でお送りします。

ご覧になる方の読みやすさなんて、

お構いなしで書き綴りますので、ご承知おきを♪


お手元にリザルトをご用意の上、お楽しみ下さい(^^


では、さっそく会場のCoronet Peakに中継を繋いでみましょう!

Coronet Peakはニュージーランド南部に位置する、

同国五大スキー場のひとつに挙げられるほどのスノーリゾートです。


ドラマ「ラストクリスマス」のロケも行われたそうですから、

ご存じの方もおられるのでは?σ(^^ハミテナイノデワカリマセンガ....


スタート標高1,371mから眺める風景は、絶景そのもの!

ドラマのロケを行うにはうってつけです。ミテキタヨウニカイテイマスガ(^^;

フィニッシュは標高差161mの標高1,210mとなっています。


北半球と夏冬が逆転する彼の地ですが、

冬の厳しさはないらしく温暖な気候のようです(^^

いよいよワールドカップが開幕するこのゲレンデでも大変暖かく、

SL1本目(1030時)の気温は、スタート地点で±0℃、フィニッシュ地点で+1℃。


日本では「春スキー」という言い方をしますが、

こちらでは「秋スキー」とでも言うんでしょうかね?(^^;

ポカポカと暖かい日差しが降り注ぎ、スキーウェアを着ていると汗ばむぐらいです。


当然のように、雪質は「Granular(粒状)」。

いわゆる「ザラメ雪」です。


せっかくいい気分で「冬を始める」つもりだったのに、

いきなりこんなコンディションかよ(^^;

まあ、どんなコンディションでも、主催者がやると言ったらやるんです。泣き言は言えません♪


コースセッターはUSチームのコーチがお務め。ゲート数45、ターン数44。

ルール上、標高差で制限されるターン数の下限よりも1つ少なく設定されています。


ターン数が少ないということは、深く厳しいコースセットではないということ。

コースが荒れないように考えられたセットなんでしょう。

同時に、選手にとってはスピードは高めで、「回りやすい」コースになっているということです。


海外のレース事情はよく知りませんが、

硫安のようなスノーセメントをどれぐらい撒いているのかなあ?

セメントで固めたとしても雪の粒同士がくっつくだけですので、

レースが進んでいくうちにその粒はバラバラになっていきます。


きれいに掘れ進められるのであればまだしも、

掘れていく溝の表面はガタガタに削れていきます。

そして、溝の「底」には削れた粒が溜まっていき、

底の部分を通った日にゃ溜まった粒々に足を取られ....

どうにも、大変なレースになりそうですねぇ(^^;


そんなレースの1本目、スタート順を確認してみましょう。

女子選手が5カ国13名、男子選手はビブ(ゼッケン)14番から始まります。


三澤選手は21番スタート。

Standing(立位)クラスでは4番目のスタートです。

男子は10カ国29名のエントリーとなっております。


では、さっそく1本目の結果を見てみましょう!


我らが三澤選手はクラス5位。

フィニッシュ時点では、トップタイムからコンマ73秒遅れの4位でしたが、

26番スタートの地元HALL Adam選手、

ホームレースで後れを取るわけにはいかないと、

トップタイムを1.12秒上回る好タイムで滑り降りてきました!

これで、三澤選手は5位、トップから1.87秒の遅れ。


大きな差となってしまいましたが、ポディウムへはまだまだ射程圏内です。

しかも、セカンドのHALLAT Matt選手は三澤選手と同じLW2クラスの選手。

ぜひ、巻き返しに期待したいところ。


ところで、Visually Impaired(視覚障害クラス:VI)やStandingクラスでは、

そんなに問題にならなかったのかも知れませんが、

コースの荒れは、Sitting(チェアスキー)クラスの選手たちを大いに悩ませたようです。


14名のエントリー中(うち、Did not Start(不出走:DS)1名)、6名が未帰還でした。

チェアスキーでは、荒れた雪面はどうしようもありませんなぁ....


気になるのが、Disqualified(失格:DQ)の、

CALHOUN Heath選手(USA)とWALKER Tyler選手(同)の2名。

旗門不通過であれば、そのゲートナンバーが記載されるのですが、

それがはっきり書いてありません。

なにか他の理由で失格になっちゃったりしたのかな....?


では、2本目です。

相変わらず快晴ですが、気温の上昇はそんなにありません。

スタート地点で+2℃、フィニッシュ地点で+4℃(1300時)とそんなに変わらず。


日本でいう「春スキー」ならば、気温はぐんぐんと上昇するのですが、

このあたりは気候の違いなんでしょうかね(^^


コースセッターはスペインチームのコーチ。

ゲート数46、ターン数44。ターンの数は1本目と変わりません。

でも、ゲートはひとつ増えております。


これが意味するところは、

2ゲートを1ターンで滑る「ディレードゲート」がひとつ増えたか、

スタート直後や最終ターンからフィニッシュラインの間で、

ターンさせない「コントロールゲート」が立ったか....

いずれにせよ、1本目と同じくコースと選手に優しいセットだったことでしょう。

そんなコースは三澤選手にも優しかったのか?


最終結果はこうなりました!

三澤選手の順位は、1本目から変わらず5位のままでした。

ただ、2本目は、ラップ(トップ)タイムからコンマ33秒しか遅れていませんので、

「気を吐いた」と言ってもいいのでは♪

ご本人の思いは、三澤選手ご本人のブログにてご覧ください。


この時期、どの選手も調整途中だとは思いますが、

この結果は三澤選手の調整は「遅れていない」という証拠でしょう(^^


いきなりこんな難しいコース状況で、

レースポイント14.94pts.、

ワールドカップポイント45pts.を確保したわけですから。

「北半球の冬」に向けて、期待出来るのではないでしょうかね。


この2本目は、1本目と打って変わってDFやDQがありませんでした。

本当に「優しい」コースだったのか、

2本目に残った選手たちはつまらないミスを犯すような選手ではなかったのか....


何にせよ、無事に第1戦が終わったのは嬉しい話です。

明日のSL第2戦も楽しみです♪


では、会場のCoronet Peakから、一旦お別れです(^^

取りあえず訳しただけなり....

いやいや、どうしてこうも手が遅いのやらσ(^^;


訳す訳すと言いながら、いっこうに進んでいなかった、

2013-2014IPC ALPINE SKIING/SNOWBOARD EQUIPMENT RULE BOOK

ですが、取り急ぎ、翻訳だけは終了したような気がしますので、

ここに、堂々と曝します!(^^


何かって?

障害者アルペンスキーの競技用品ルールです♪

訳文はこちら!

2013-2014 IPCアルペンスキー/スノーボード 競技用品規則書(ろぼ訳)


とにもかくにも、訳を優先しましたから、体裁は整えていません(^^;

おいおい、見やすくなっていくことでしょう。


ルールブックと同様に、翻訳の精度なんて当てになりません♪

「ろぼ訳」を真に受けてレースで失格になっても、「自己責任」でよろしくです(^^


では、お休みなさい....

2013年8月22日木曜日

夏の雪上の熱い戦い....

気がつきゃ8月も後半。

今年もあと4ヶ月ちょっととなってしまいましたねぇ。


どうにも頭がすっきりしない日が続いていまして、

夏バテかな?なんて考えたりしてます(^^;

まあ、気合いが足りないだけなのかも知れませんが♪


さて、暑い暑い日本から赤道を跨いで約9,000km、

ニュージーランドでは障害者アルペンレースワールドカップが始まりました!

いよいよ、2013/14シーズンの開幕です!

このクソ暑いさなかにスキーの話をしてもピンと来ないかも知れませんが....(^^;


ジャパンチームは、南半球のレース参戦は見送ったようですが、

ただひとり、三澤拓選手が個人エントリーしています。


ソチ本番へ向けた「足馴らし」的な意味合いが強いのかも知れませんが、

ワールドカップランキングを考えれば、少しでもポイントを稼いでおくことは非常に大切です。


どの選手もそうでしょうけども、この時期はまだまだベストコンディションとは言えないはず。

三澤選手にも、無事に、そして納得のいくレースをして欲しいものです♪


リザルトがアップされ次第、昨期と同じように「見てきたような」シリーズを書いていきますね。

のんびりと「避暑」のつもりでお楽しみください(^^

2013年8月19日月曜日

仙台行き決定!....

昨年に引き続き、今年も仙台行きが決定しました(^^

なんせ、「よその土地」とは思えないのが仙台♪

里帰りのような気がして、とてもワクワクしています!


今回も、車いすハンドボールでの遠征です。

昨年は、全国前の偵察を兼ねて単独行でしたけども、

今回は我がドリーマーズでチームを編成....出来ませんでした(^^;


一試合6名で行う車いすハンドボール。

あと、2名!足りなかった....

申し訳なくも、宮城車いすハンドボール協会様にお願いです。

活きのいい若者を2人貸してプリーズ


ということで、大会の告知(^^

第11回東日本車いすハンドボール大会

日程:平成25年9月21日(土)~22日(日)

場所:宮城野体育館(元気フィールド仙台内)


ちなみに、昨年の参戦記はこちらにて♪
(リンク先あたりから、ダラダラと連載を始めてまぁす^^;)


さあ、仙台市内の山本新之介のファンのみなさん!

どうぞ、遠慮無く会場にお越し下さい♪

....ちなみに昨年は、一人もお見えでありませんでした(^^;

2013年8月15日木曜日

わがままな右手、まぬけな左手....

世間では、「お盆休み」らしいですね(^^

σ(^^たち、「役所」の世界はそんなものはありません♪

ただひたすら、カレンダーどおりに、馬車馬のように働くだけです。

聞くところによれば、「滋賀県」「ほぼお盆休み」の設定があるようですが....
                                      ウラヤマシクナンテナインダカラネ!!!

休みも思うように取れない中、

節電で空調がまともに動いていない中、

暑苦しい「4Kおばさん」が暑苦しい中、

ある事に気がつきました....


左うちわで、右手でキーボードを叩いていた時です。

左手打ちも右手一本で兼ねていた「なんちゃってブラインドタッチ」。

右手パートはともかく、左手パートはキーボードを見ないと叩けません(^^;


目でキーを探し、右手人差し指でキーを迎えに行き、

叩いた文字を画面で確認して、次のキーを叩きに行って....

その間、左うちわは止まっているんです(^^;


両手ブラインドタッチなら、原稿や画面を見ながら(そんなフリをしながら)、

「反射的」に入力を続けることが出来るんですが....


「考えながら」だと、

左手パートは、右手では「ブラインド範囲外」、

その時の左うちわは、「なり」を潜める....


考えながら体を動かすのは、かつて書いた「小脳論」(連載モノ)に逆らう行為です(^^

「頭で考える行為」なんてたかが知れているいうことですな♪


あくまでも!

「大脳」の機能は「知識」or「認識」!

「運動機能」は「小脳」!


....まてよ?

するってぇとなんですか?

右手キーボード、左手うちわだとして、

右手で叩くキーを叩こうとキーを探している間(知識と認識)、

左手で扇ぐ単純な動作(運動機能)のうちわは停止....


大脳と小脳の動きが連動していないのであれば、

左うちわが止まるはず無いんです....


σ(^^;の「小脳論」、破綻してるのか???

ちなみに、σ(^^の人生、本当の意味での「左うちわ」はあり得ません♪

2013年8月11日日曜日

これでまずひとつ完成....

「暑い暑い」なんてσ(^^自身が聞きたくないので、ここにも書きません♪

天気予報が「雨」というから、雨が降るんです。

天気予報が「暑い」というから、暑いんです。

すべてを天気予報のせいにして、この夏を乗り切りましょう!


さて、IPCASのルールブックの翻訳作業ですが、

先日の更新騒ぎによる確認を、ようやく終えました。

途中、なんやかんやの連載を挟んでしまったのと、

更新後の体裁に合わせて編集していたので遅くなりました(^^;

一部、どうしても訳せなかったところはそのままですがご了解を....


これが、完成版です!

2013-2014IPCアルペンスキーの規則と規制(ろぼ訳)


翻訳しながら改めてルールを噛み砕いていくと、

本当に日本障害者スキー連盟にはお世話になってきたんだなということがわかります。


当たり前のように登録をして、当たり前のようにレースに出場していたのですが、

こういったルールを元にいろんな方々がお務めを果たされているからこそ、

無事に活動を続けられたんだと感謝しているところです。


また、しっかりとしたルールがあって、

その上でしっかりと活動を重ねる母体があって、

選手たちは競技に集中することが出来て初めて、

「強く」なっていくんだろうとも考えます。


障害者アルペンスキーチームの強さも、

こういった裏付けがあってのことですなぁ(^^


また選手たちには、「競技用品」のルールも同様に大切です。

いま、返す刀でその翻訳も進めております。

例によってカメの歩みのような進み具合になりますが、少しずつ進めていきますね。


一方、ガラパゴス化著しい、日本の車いすハンドボール。

ブラジルで世界選手権が開催されるという記事をかつて書きましたが、

その大会ホームページを見つけてしまいました。

参加出来なくて少し寂しいと思いながらも、内容を見ました。


参加国は7カ国+オープン参加チーム。

南米以外ではオーストラリアのみで、ヨーロッパからの参戦はないようです。

ここに「ジャパン」が参戦するのはいつの日やら。


そのホームページ内、ルールブックが公開されていました。

斜め読みですが、読んでびっくり!

σ(^^たちドリーマーズのほとんどのメンバーが参加出来ないことに気がつきます。

現在の車いすでは、世界ルールの仕様に合わないのです。


嬉しそうにブラジルに行って、

「そんな車いすでいいと思ってんのか。
                      おととい来やがれ!」

と言われるところでした。危なかった....(^^;


世界ルールのゲームをするためには、

車いすを大幅な改造をしなきゃいけないのと、

健常ハンドの3号球に慣れなきゃいけない。


また、椅子バスと同じようにチームには点数制限がかかっていて、

障害ごとに与えられる「持ち点」、

コート上にいる選手7人の合計が18点を超えてはいけないそうな。

逆に、椅子バスの選手の方が、ハンドには取りかかりやすいかも(^^

車いすの仕様も、椅子バスとほぼ同じだし....


アルペンの競技用品ルールの翻訳を終えたら、

車いすハンドボールのも取りかかることにしますかね。


不要不急どころか、無意味そのものかも知れませんが、

全く知らないでは話になりませんものね♪

2013年8月10日土曜日

建前論続き....

いよいよ、新之介的ジャーナリズム論も最終回を迎えました♪

お付き合い頂いた方々、本当にありがとうございました!

最終回は、いつも以上に張り切って書きましたので、

「拡大版」となっております(^^

それでは、どうぞ!


この言葉だけは絶対に理解しておかなければなりません。

「表現の自由」、これは絶対的な建前論として挙げられるでしょう。


「自由」ですから、「ジャーナリスト」の方々を始め、

どのような活動をされようとも構わないと思います。

「公共の福祉に反しない限り」ですが....


「ある事柄の一部分を切り取った報道」をされていたとしても、

そのこと自体に論評する必要はなくて、

それは「知る側」が得られる「情報のひとつ」と捉えるだけでいいのではないかと。


ただ、「自由だから何を表現してもいい」という事にはなりませんよね。


「建前」を無視してしまえば、

「表現の自由」を盾にした(未必の)悪意ある活動を許すことにもなりかねません。

過激な活動はもとより、排他的な主張も問題ありありでは?


「自分たちが正しい」という事を伝えるために行う、

「他を批判し排撃する行為(言論も含めて)」は、

ジャーナリズムでも市民活動でもなく、

「テロ」や「言論封殺」でしかないと思うのです。


「正しい」と主張するためには、客観的な事実分析と理論が必要でしょう。

メディアには、建前「だけ」は踏まえた報道や主張をして頂きたいなと、

そして「情報の選択権」は視聴者や読者などにあると理解して欲しいと思うのです。


さらには、「主義主張」を、「断定的」に、「一方的」に伝えるのではなく、

視聴者や読者など「受け手」の蒙を啓くような伝え方をして頂きたいなと。


求めても無意味だと先日の投稿でも書いたばかりですが(^^;

なんにせよ、メディアから「正しい答え」を引き出すことは不可能でしょう。


そもそも、「事実はひとつ」ですが「正しい答え」はないですし、

ジャーナリズムは「神の代弁」ではないわけですから。


生きていく上で必要なのは、

「正しい答えだと決めつけない冷静さ」

これがファイナルアンサーではないかと思います。


長々と書いておきながら、ピリッとしない終わり方だなぁ....(^^;

最後に、枝葉をくっつけて終わりを濁すことにします♪


麻生発言ですが、その内容に何らかの意図があったとか、

そういったことではないと思うんです。
        (「ない事の証明」なんて出来ませんが....)


副総理がなぜあのような言葉を使われたのか、想像するしかありません。

が、多分、たまたま思いついたことを、

よくお考えにならずに口にされた「だけ」なんだろうなと。


ついでに言えば、σ(^^;も人のことを笑えません。

発言の報道を読んだ時に、

「ああ、ヒトラーは憲法を改正して権力を握ったのね」と思いましたが、

産経新聞の「主張」欄に教えて頂き、慌てて調べました。


ヒトラーはワイマール憲法を改正したのではなく、

「全権委任法」で憲法より優位な権力を手に入れたということらしいです。

欧州史には疎いもので、勉強不足を恥じております(^^;


憲法改正の文脈の中でそんな悪しき前例を持ち出して、

そんな手口を見習えなんて言やぁ、そりゃ叩かれますわ♪

副総理がその史実をご存じでそんな発言をされたのなら、ただの○○ですし、

知らずに発言されたのなら、うにゃうにゃうにゃ....


いずれにせよ、ヨーロッパでの「ナチス」という言葉の意味の重さを、

しっかりと認識されていなかったというのは確かでしょう。

かつて、その言葉で物議を醸した事がおありなのに、です。


そして、今回の件は「ただ、それだけ」でしかないと思うんです。

簡単に言ってしまえば、「懲りない残念な人」なんだろうという程度のことかな?

それはそれで「人間的」に問題あるかもしれませんが....


「そんな問題のある事だったとはこれっぽっちも思わなかった」なんて、

本人の口からは絶対に出てこないでしょう。

事はメンツの問題ですからね。            アヤマリモシナイシ....


で、考え無しに出した言葉を打ち消すために、なんだかよくわからないコメントで上書きした。

それも無理矢理こじつけたようなものですから、ますます理解に苦しむことになるのですが。


副総理に限らず、どんな肩書きにも限らず、

注目されるべき方々には、「吐いた唾を飲み込む度量」が必要でしょうかね。

「すんませんっしたぁっ!!!」と、とっとと謝ればいいのに♪


なんにせよ、これはσ(^^の想像でしかありませんし、

誰も本当のところはわからないと思います。

そして、そんなに騒ぐほどのことかいな?とも、ね(^^;


さあ、この「みぞーゆ」の麻生ショックはどこまで尾を引きますやら。

安倍総理も大変だ(^^;
「ミゾーユ」デモナンデモナクテ「ソウテイナイ」カモ....

2013年8月9日金曜日

建前論....

メディアとの正しい付き合い方どうするの?
 
「建前」でしょ!(^^

ということで、誤解されがちな「建前」をイチオシです(^^


よく「本音と建前」という言葉を耳にします。

「建前」という言葉の意味には、

「白々しく無意味なもの」というニュアンスの方が強いですよね。


でもσ(^^は、「建前」にこそ「立ち位置」があると思っているんです。


sasanoel様のコメントには、「権力の番人」という言葉がありました。

大変頼もしく力強いことと思います。


ただ、「建前」としては、

「番人」はジャーナリストの方々ではなく「有権者」であるというのが、

民主主義国家での正しい認識であるべきだと思うんです。


建前として、「有権者」が番人としての知識と考え方を持たなければ、

民主主義なんて正しく機能しません。


建前として、「有権者」が番人であるためには「教育論」にも話は広がります。


建前として、様々な情報に接するチカラがなければ番人なんてつとまりません。


「建前」を言い始めるといくらでも出てきます。

現実に実行出来ないこともあるでしょうけども、

「建前は無視していい」と考えてしまうと「悪しき個人主義」に陥りませんかねぇ?

「建前」には、人間社会で生きていく上で必要なエッセンスを教えてもらえると考えます。


建前論としてもうひとつ。


メディアの現状は「経済活動」のひとつでしかないのも事実だと思います。

そりゃそうですよね。

お金を稼がないと取材活動が出来ないわけですから。


でも、経済活動である以上、

「神の見えざる手」に動かされるのも事実でしょう。

大手や零細に関わらず、です。


売れなきゃ(読んでもらえなきゃ)意味がないわけで、

そのためにはどのようなスタンスの報道にするか、

メディア各社(個人活動も含めて)は常にお考えのことでしょうから。


つまり、メディアと接する時に、

「客観的な真実を!」と求めても意味のないような気がするのです。

とても全てに目を通す事が出来ない数のメディアを相手に無理筋な要望を突きつけるよりも、

メディアに接する姿勢を改めることの方が余計な感情を持たなくていいと思うんです。


いくつもある媒体のひとつを選ばなきゃいけないということもなく、

「政府公報」を読んでいたらダメというわけでもなく、

「シュギシャ」と見られるのがイヤだから読まないというのも変。


「表現の自由」という建前があるからこそ、

ありとあらゆる主張が行われて、

それらに接することで「知る」機会が提供されているわけです。


他の媒体を批判するのもメディアの常かも知れませんが、

それを鵜呑みにはしたくないなと思うのです。


建前論は、もう少し続きます....

2013年8月7日水曜日

知らない方が幸せなのか?....

これまで、戦争を例えにとって考えてきました。


いろいろ考え方がある事なので、

例示としてはふさわしくなかったかも知れませんが、

メディアとの向き合い方を整理するために、あえて取り上げました。

「戦争論」について書いているわけではないのでご了解の程を♪


ところで、σ(^^はたまに思う事があります。

何事も知らない方が幸せなのではないか?と。


何も知らなければ何も疑わなくてすむ。

何も知らなければ比較することもされることもない。

どんな目にあったとしても「そんなもんだ」と思えることは幸せなのではないかと。


中途半端に、下手な知識を身につけて「盲目的」に生きていくよりも、

よっぽど心の平穏が得られるのでは?....


でも、人間として生きている以上はそんなことは無理ですな(^^;


だったら、徹底的に貪欲に「知る」という欲求を満たす。

ありとあらゆる事を知りたい!という思いを持ち続ける。

死ぬまで学んでいたい!と思うのもいいことだと思うんです。


中途半端な知識で思考停止して、

「成長」を止めてしまわないように。

それは、人間としての喜びではないでしょうかね。


哲学的な話をしたついでに、少し蛇足を。

「クオリア」の共有ということが出来ないのであれば、

「最後の最後」のところで「人は永遠にわかりあえない」のだろうと、σ(^^は考えています。


わかりあえない存在どうし、どうすれば良好な関係を築いていくことが出来るか?

それは「知る」という行為を積み重ねていくしかないと思うんです。

そのためにも、「知る」という欲求を持ち続けなければならない。


ある程度の知識で「自分を固めてしまう」のは、

それ以上、他者を受け入れないということになるのではないでしょうか。


それでは「対立」しか生みません。

人間社会で生きている以上、

「対立」の最終形は「争い」であり、

その形式は「戦争」なってしまうのでは?


だからこそ、人間は「知り続ける」必要があるんだろうと考えています。


各メディア(ゴシップや漫画も含めて)の報道には、本当に感謝しています。

近年は、インターネットの普及で本当にありとあらゆる情報に接することが出来ます。

とても全てに目を通す事は出来ませんが。


ジャーナリストの方の個人的な思いもその情報のひとつ。

それらを否定するどころか、

「そういった考え方もあるのね」と思えることは大変嬉しいことでもあります。


ただ、「中途半端な断定」には「個人的」に残念に思ったりもしますが....


σ(^^にとって、メディアの報道に接するということは、

「知る」ための方法のひとつでしかありません。


ジャーナリズム論などといった学術的なものをしっかりと勉強したわけではありませんが、

あるひとつの報道だけを鵜呑みにしないということが、

メディアとの正しいつきあい方ではないかと思うのです。


そのためにはどうすればいいのやら....

2013年8月6日火曜日

不戰而屈人之兵 善之善者也....

ひょんな事から始まった、メディアへの接し方というか....

σ(^^がどのように思っているかを書き連ねています。


昨日は、その「入口」として「先の戦争」を例示しました。

季節柄、解りやすくていいかなと♪

今日はその続きです(^^


いきなりですが、「代表的な兵家(軍事研究者)をひとり挙げよ」という質問があれば、

σ(^^は迷わず、古代中国の孫武を挙げます。

「孫子の兵法」の著者と言えば、お聞きになった方も多いのでは?


その孫武は言いました。「戦わずして勝つことが最良の方法」だと。

大がかりな戦争をしてどんなに勝ち続けたとしても、

それは最もいい勝ち方ではないというわけです。


「戦わずして勝つ」とは、外交や経済その他ありとあらゆる手段を用いて、

相手国に「戦争なんてやってられるか!」と思わせることを指していると解釈しています。

言い換えれば、軍事研究家であった孫武自らが、

紀元前の大昔にはすでに、「戦争しちゃダメなのよ♪」と言っていたわけです。


でも、それ以降も戦争は絶え間なく起きています。

残念ながら、日本も戦争という手段を選びました。


明治維新以来、日本は欧米列強に追いつけ追い越せと「がむしゃら」に突き進みます。

ありとあらゆる犠牲は「国のために仕方がない」ことと切り捨てながら、

あるいは無視しながら....


当時、列強の証明=軍事力だったと言い切ってもいいと思います。


軍事力を高めるためにはお金が要る。

お金がいるから少々無茶をしても産業の近代化を図る。

植民地になる寸前まで追い込まれた日本が生き残るためには、

列強の圧力に抵抗しなければならなかった。

抵抗するためには、「戦争しかない」という暴論を受け入れなければならなかった。

戦争するための借金を「政府公報」で募集した....


孫武も「戦争も仕方のないこと」と認めていて、

少なくともその「余地」が、

「大義のためであれば開戦やむなし」と、

思考を停止させてしまう原因にもなっていたのでしょう。


少し話がそれました。

その「開戦やむなし」という世論が形成され、

突き進んだ結末が「先の戦争」の悲劇だと考えています。


その悲劇を繰り返さないためには、

sasanoel様のコメントにあるように、

ジャーナリズムの役割は「権力の番人」でなければならない、

というのもひとつの考え方でしょう。


影響力の大きいマスコミが、しっかりと国家権力を見張る。

素晴らしい活動だと思いますし、現代国家では必要な存在であるはずです。


ただ、気になっているのは、

「主観的観念的な番人になってませんか?」ということです。


歴史的思考を申し上げれば「事実はひとつ」しかないのです。

ただ、その表現方法次第で、事実がいくつもあるように見せることが出来ます。

主語を入れ替えるだけで「見る角度」が変わり、

そこに「感情」、「主観」や「主義主張」を乗せてしまえば、

いくらでも事実を増やしていくことが出来るのです。


ひとつひとつその例示はしませんが、

あるメディアが「編集した事実」を、

視聴者や読者が「絶対的な真実」だと鵜呑みにすることは、

将来にとても恐ろしい結末を迎える事にもなりかねません。

それは、例え「不可抗力」であったにせよ、「先の戦争」で証明済みです。


では、σ(^^たちはどのようにメディアと向き合えばいいのか?

メディアに何を求めればいいのか?


明日以降、もう少し整理していくことにします。

2013年8月5日月曜日

暑い時には暑苦しい話題を....

最近、「猛暑注意報」なんてものが発表されてますねぇ。

夏は暑いことはわかってんだから、

これ以上、暑苦しい事は言わないでおくれ!

などと吠えたところでどうにかなるものでもなし(^^;


日に日に増え続ける熱中症の発症、

その被害を食い止めるためにも、必要な情報なのでしょう。

油断することなく、暑さと向き合わなければ....


さて、昨日の投稿で「マスコミを敵に回す」なんて威勢のいいことを書きましたが、

そこまでの論陣を張るつもりもありません。小心者ですから(^^;

ただ、考えていることだけは言わせてもらおうと思います♪


毎年のことですが、暑い夏の到来と共に、

この時期は「先の戦争」を題材にした報道がたくさんなされます。

この日本がたどった道、もう二度とその道を歩んではならない。

そのためにも、繰り返し繰り返し戦争の愚かさと平和のありがたさを訴える。

大変有意義な事であるのは事実でしょう。


メディアの扱いでは、一過性の、

イベント的なものになっていることが非常に残念ですが....


ただ、その被害の悲惨さのみを取り上げて、

「だから戦争はいけないんだ!」と声高に叫ぶだけが、

「反戦」の手法ではないといつも思います。


なぜ、先の戦争「だけ」を取り上げるの?

開戦を決断した「その瞬間」さえ「何とかする」ことが出来ていればよかったの?

あの戦争さえなかったら....

もっと早く戦争を止めていれば....


歴史に「もし」は絶対に禁忌だということは、

多少でも真面目に歴史に取り組んだ方ならおわかりでしょう。


「もし....」という考え方を受け入れることは、

歴史が教える重大な反省点や課題を、

「妄想」で塗り替えてしまう危険を生み出すことになりかねません。


また、「先の戦争」の被害の大きさのみを反戦の材料にするのは、

「歴史の流れ」を無視し、積み重なった間違いの重さを自覚する、

絶好の機会を失うことになってしまいます。


歴史の一部を切り出すような乱暴なことは止めて、

こういった「歴史の流れ」をしっかりと学ぶことが、

「反戦」の最も正しい方法だとσ(^^は考えます。


その流れの中には、日本の置かれた厳しい状況があり、

それに向き合う国家としての日本があり、政府がありました。

その運営のためには、国民を誘導し、軍産学含めて「挙国一致」の必要があり、

さらにその手法として政府はマスコミを利用した。


その結果、必要以上に世論が沸騰し、

政府が軍の暴走を押さえられなくなり、

悲惨な結末を迎えたというのが、

日本の近代史の側面のひとつだとσ(^^は考えます。


日清戦争前から日露戦争の時期、

国内で戦争の大義を示すためには、

「日本万歳」と報道する必要があった。


そして、幸か不幸か敗戦を経験しなかった日本は、

その体裁を維持し続けるために「日本万歳」を報道し続けなければならなかった。


その報道は、幼少期あるいは青年期の人間に「日本万歳」を刷り込み、

それを「信念」とした一部の軍人の暴走が、あの戦争を推し進めた。

その背景には、文民統制という概念がなかったことも事実でしょう。

勝ち続けなければ日本は滅ぶという思い込みがあったのも確かでしょう。


そして、そのご時世では「不可抗力」だったのかも知れませんが、

戦争への道を歩み続ける事になった国民、

その誘導を行ったマスコミも無関係ではないはずです。


こういった「ありとあらゆる積み重なり」を顧みなければ、

本当の意味での「反戦への思い」は成り立たないのではないでしょうか。


これはあくまでも、歴史にシンパを感じるσ(^^個人の思いです。

反論はありましょうが、どちらが正しいかなんて論戦するつもりはありません。


ただ、メディアの報道やジャーナリズムへは「こうあって欲しい」と願うところもあります。

「先の戦争」は、ひとつの例示に過ぎません。

その思いはまた次回以降に....

軽々に対応出来ない....

どうしてこうも「夏」って過ごしにくいのでしょうか!

ひと夏の恋に浮かれた若者が
どうなろうが知ったこっちゃ無いわ!!!

....失礼しました(^^;


突然ですが、生きていく間には何度となく、

軽々しく返事しちゃいけない事ってあると思うんです。

そんな時、みな様はどうしますか?


σ(^^は考えます。

σ(^^の生き方に納得出来るまで考え抜きます。

そして、「そこに答えなど無い」という気楽さと共に考えます♪


「あン?なに言ってンだ」って?

まずは、頂いたコメントのご紹介をさせてください。

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8月3日(土):「ジャーナリズムって....」

sasanoel様のコメント
「「ジャーナリズム」の役割は、まず権力の番人と思います。
 国際的問題発言に発展するような無益な発言をしたことを追求したのは、
 どのような形であれ、日本にしてはめずらしくまともなマスコミの反応だと私は思いました。
 この程度の批判は常に必要だと思うんです。政府公報の読売は蚊帳の外ですが。
 それでも、政治家として責任を自覚させることは難しいと思いました。

 日本のメディアはたしかにダメと思いますが、
 今回のはさほどダメではなかったと思います。

 問題は、発言撤回するにしても、どこをどう言っていいかわからない。
 問題発言も原稿なら、撤回文も原稿で、本人がわけわからないところにあると思います。
 (原稿書いた人の罠?政治テロ?とさえ思いました)

 表現の自由に関しては、マスコミの表現問題をさすのではなく、
 一般市民の表現のデモや集会の自由などが含まれることを
 心配する必要があると思います。

 誰もが発信できる時代ですから、ジャーナリストも営利非営利問わず、
 権力の監視という役割は果たさないとって思います。
 ただでさえ、ほとんどのメディアが同じようにしか伝えないのですから。

 赤旗新聞をほめると共産党と思われてしまいますが、
 共産党じゃないですよ、でもああいうスタンスとか、
 暮しの手帖とか、アジアプレスとか、デイズジャパンとか、
 いろんなインディペンデントの媒体が大事なんだと思います。」


ありがとうございました!

sasanoel様は、メディア関係のお仕事をなさっている方でしょうか?
文脈から、そのようにお見受けしました(^^

頂いたコメントは、こうやってご紹介した上で、
σ(^^のリコメを付けるというのが、このブログのスタイルです。
ただ、今回のコメントだけは本当に慎重に解答する必要があると思っています。

アスリートだった当時、堅く信じていたことがあります。
今でも、その信念は変わっていませんが....

マスコミを敵に回しちゃいけないんです。

このブログをご覧のみなさま方には、
もしかしたら「ふーん」ぐらいの事かも知れません。

ただ、σ(^^にとっては「デート中の派手な放屁」ぐらいに重大な事なんです。
「じゃあ、始めからそんな事をブログに書かなきゃいいのに」、おっしゃるとおり(^^;

ただ、投稿本文に書いたとおり、情報の取捨選択の権利は、
メディア側にあるのではなくて、視聴者側にあると思っているんです。
                               ソンナコトカイッテタカ???....

ただ、これは「一視聴者」の戯言。
メディア側の理論とは相容れない事に違いありません。

どこのメディアとは言いませんが、「イヤなら読むな」的なことを平気で言う世界です。
国民?住民?視聴者?読者?....何でもいいですが、
でも、間違いなく、「情報の選択権」はこちらにあるんです(^^


「メディアが世論を形成する」と信じている本職の方がおられたら、はっきりと言いたい!

大東亜戦争を起こしたのは
      あなたたちの先輩ですよ!
 
いろいろウダウダ言いましたが、
このリコメについては、後日、別投稿でさせて頂きます(^^

....多分、これでσ(^^はメディアを敵に回します。
みなさん、ごきげんよう....♪
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アスリートだった当時を思い返して、ある仮定を立ててみる。

当時は、こんな話題をネタにしたか?

絶対にしません!(^^;

なぜなら、競技以外のことで
潰されるわけにはいきませんから!


このあたりも、日本独特な雰囲気なんでしょうね。

欧米だったら、トップアスリートが「政治的な発言」をしても、

何の問題も起きませんからね....「非人道的」な事はさておき。


さあ、長い話になるのか?

難しい話をダラダラと続けて、お客さんが減っているこのブログ。

果たして明るい未来はあるのか???


では、ごきげんよう♪

2013年8月3日土曜日

ジャーナリズムって....

この一両日、FBでちょいとアツくなった事がありました。

このスレッドなんですけどね。


いろいろとコメント続けるうちに、

σ(^^自身も「シンプルさ」を持たなきゃと思いました。

以下は、そのうにゃにうゃです♪

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昨年の政権交代から、いや、もっと前からかな?

新聞やテレビといったメディアの論調が変わってきたような気がします。


「言論の自由」といえばその通りですし、

いろんな方向からものの見方が出来るのもよく理解しているつもりです。


そして、メディア各社の方針や思想というものが、

論調の中に組み込まれるということもよくよく承知。

また、大手メディアだけでなくて、ローカルメディアや、

本当にささやかな活動をされているジャーナリストの方々もおられます。


さらにはσ(^^も含めてですが、

インターネットの環境を利用してそれぞれの主張がしやすくなっていることもあり、

その千差万別の思いがあふれ出しているようにも思います。


こういったことは大変いいことだと思うんですよね。

まあ、σ(^^は小心者ですので、

政治的、社会的な分野で投稿する勇気はさらさらありませんが。


ただ、最近よく耳にする目にする事の中には、

「表現の自由」や「言論の自由」を盾に、

一方的な主張を繰り広げているケースがあるように思うのです。


その事象の大部分については触れることなく、

ほんの一部だけを取り上げて、

極めて少ない判断材料で、

主観的に感情的に書き綴られているものなどを読むと、

思わず首をかしげていたりします。


ブログやSNSで主張するような個人的な活動は、それでも構わないでしょう。


「自由」を盾にして、

ヘイトスピーチを繰り広げたり、

「威力業務妨害」や「公務執行妨害」など、

ぎりぎりの行動に出るなどは論外ですが。
(事件化されていないだけのものも含めて)


σ(^^が気になるのは、「ジャーナリスト」を自認される方の発言なんですよね。

「ジャーナリズム」というのものは、
 
そもそも現実の事象を的確に伝え、

視聴者や読者の「知る権利」を満足させることが、

その大目的だと思うんです。


にもかかわらずですよ?

取材で得た情報や、直接間接を問わず見聞きした伝聞などをきちんと検証せずに、

主観的感情的に注釈をつけることが「義務」だと思っているのでは?

と感じる記事をよく目にしたりします。


「ジャーナリズム(報道)」と「アジテーション(扇動)」の区別をきちんと付けてる?


たった100年ちょっと前の自由民権運動を始めとする、

明治大正期の国民的な気運の盛り上がりなんかと、

雰囲気がよく似ているような気がするんですよね。

当時も、「報道と扇動の区別」は怪しかった気がしますが。


ただ、ひとつだけ違うと感じるのは、当時は「大義」があったように思うんです。

国のため、社会のため、世の中がよくなっていって欲しいから、

それぞれが感じた事をそれぞれで検証して、

きちんと理論武装して主張していたんだろう、と。


だから、ぐうの音も出ない、立場が悪くなった当局は、

「弾圧」という方法で世論をねじ伏せていたのでは?


「今」はどうか。

何となくですが、安易に判断して、安易な方法で、

「大義」も「信念」もないアピールが多いような気がするんです。


原発、憲法、外交、国防、社会保障を含めたすべての社会的システム....

様々な視点から情報を集めて、様々な角度から検証を加えて、

どんな論戦を挑まれようと論破するぐらいの覚悟で主張して欲しいなと思ったりします。

そこまで出来ていないから、政治屋や官僚の「うにゃうにゃもごもご」で押し切られてしまうんです。


σ(^^;?

σ(^^;は本番に弱いので、論戦を挑まれたら泣いてしまいます。

ですから主張なんてする気はさらさらありません♪

....ってのは冗談ですが。


まあ、いろんな角度から物事を見れば、そのいずれも妥当性があったりしますから、

単純に白黒付けることは出来ないというのが正直な思いなんですけどね。


最近は、ちょいとアンテナを高く伸ばしていると、

いろんな話を見聞きすることが出来ます。


その内容に対して、「反射的」に反応することだけはしない、

「冷静さが必要」なんだろうなと感じる今日この頃。


んー....

結局、長い割に何を言ってるのかわからない投稿になってしまいました(^^;

どうかご容赦を♪

2013年8月1日木曜日

実質的にシーズンイン!....

ほんに、毎日毎日暑おすなぁ....(^^;

どちらさんもお体にはお気をつけやす♪


普段まったく使わない京都弁で挨拶してしまうぐらいに、

暑さでおかしくなっている山本新之介です....


もう、暑い暑い話はよかて。

ちっくと、涼しゅうなる話をするぜよ。

....σ(^^はいったい何人だ?


8月、夏真っ盛り。

そんな時期に雪が降り積もっているところがあります。

そう、この時期に「Winter」という幸せな地域!

南半球です!


今日、そんな冬真っ盛りのニュージーランドに、

2人のチェアスキーヤーが降り立ちました!


森井大輝選手!

そして、狩野亮選手です!(^^

ジャパンチームの誰よりも早く雪上に立ちます。

....正確には座ったままですが(^^;


ソチへ向けて開発中の様々なマテリアルをテストするそうです。

そのうちの一部のモノ、そんな話をちょこっと聞きましたが、

「It's classified!」なんだとか....(^^;

その詳細は、彼らの口からオープンになるまで待っててください。


でも、いいよなぁ....

もう滑り始められるなんて....

ジャパンメンバーともなれば、当然ですねぇ。


「ろぼ?他人事じゃないんだよ?」

どういうこと?


出発前の彼らと、電話で話している中での、「ある話題」


「まだ、ろぼにも『ソチの目』はあるんだよ」

いくらなんでもそれは冗談だろう(^^;

「いやいや、本当に」

まじ?

「ろぼは、ソチパラに出られるポイントが何ポイントか知ってるよね?」

うん。200ポイントだったかな?

「そこに届く可能性のある選手ということで、ろぼの名前はまだリストにあるのよ」

まじでか?(^^

「まだ、チャンスあるんだよ」

どうすりゃいいのさ?

「10月の合宿からチームに帯同して、
 ヨーロッパカップでポイントを書き換えていって、
 ワールドカップなんかでも大活躍なんかして、
 押しも押されぬ成績を上げて、
 現時点の内定選手を押しのけさえすれば、
 晴れてソチの代表だよ」

そりゃ大変だね....

「うん、仕事と家庭を擲って、
 借金まみれになって、
 しかも、絶対的なポイント
      上げなきゃならない」

そんなバカなことが出来ないことだけは判った(^^;


そういうリストに名前が載っているということが判っただけでも、良しとする♪

長い間続けてきた活動の、ささやかな結果がこうして残っているのは幸せなことです(^^


夢は夢。

現実は現実。

また明日から、頑張っていきましょうか♪