ひょんな事から始まった、メディアへの接し方というか....
σ(^^がどのように思っているかを書き連ねています。
昨日は、その「入口」として「先の戦争」を例示しました。
季節柄、解りやすくていいかなと♪
今日はその続きです(^^
いきなりですが、「代表的な兵家(軍事研究者)をひとり挙げよ」という質問があれば、
σ(^^は迷わず、古代中国の孫武を挙げます。
「孫子の兵法」の著者と言えば、お聞きになった方も多いのでは?
その孫武は言いました。「戦わずして勝つことが最良の方法」だと。
大がかりな戦争をしてどんなに勝ち続けたとしても、
それは最もいい勝ち方ではないというわけです。
「戦わずして勝つ」とは、外交や経済その他ありとあらゆる手段を用いて、
相手国に「戦争なんてやってられるか!」と思わせることを指していると解釈しています。
言い換えれば、軍事研究家であった孫武自らが、
紀元前の大昔にはすでに、「戦争しちゃダメなのよ♪」と言っていたわけです。
でも、それ以降も戦争は絶え間なく起きています。
残念ながら、日本も戦争という手段を選びました。
明治維新以来、日本は欧米列強に追いつけ追い越せと「がむしゃら」に突き進みます。
ありとあらゆる犠牲は「国のために仕方がない」ことと切り捨てながら、
あるいは無視しながら....
当時、列強の証明=軍事力だったと言い切ってもいいと思います。
軍事力を高めるためにはお金が要る。
お金がいるから少々無茶をしても産業の近代化を図る。
植民地になる寸前まで追い込まれた日本が生き残るためには、
列強の圧力に抵抗しなければならなかった。
抵抗するためには、「戦争しかない」という暴論を受け入れなければならなかった。
戦争するための借金を「政府公報」で募集した....
孫武も「戦争も仕方のないこと」と認めていて、
少なくともその「余地」が、
「大義のためであれば開戦やむなし」と、
思考を停止させてしまう原因にもなっていたのでしょう。
少し話がそれました。
その「開戦やむなし」という世論が形成され、
突き進んだ結末が「先の戦争」の悲劇だと考えています。
その悲劇を繰り返さないためには、
sasanoel様のコメントにあるように、
ジャーナリズムの役割は「権力の番人」でなければならない、
というのもひとつの考え方でしょう。
影響力の大きいマスコミが、しっかりと国家権力を見張る。
素晴らしい活動だと思いますし、現代国家では必要な存在であるはずです。
ただ、気になっているのは、
「主観的観念的な番人になってませんか?」ということです。
歴史的思考を申し上げれば「事実はひとつ」しかないのです。
ただ、その表現方法次第で、事実がいくつもあるように見せることが出来ます。
主語を入れ替えるだけで「見る角度」が変わり、
そこに「感情」、「主観」や「主義主張」を乗せてしまえば、
いくらでも事実を増やしていくことが出来るのです。
ひとつひとつその例示はしませんが、
あるメディアが「編集した事実」を、
視聴者や読者が「絶対的な真実」だと鵜呑みにすることは、
将来にとても恐ろしい結末を迎える事にもなりかねません。
それは、例え「不可抗力」であったにせよ、「先の戦争」で証明済みです。
では、σ(^^たちはどのようにメディアと向き合えばいいのか?
メディアに何を求めればいいのか?
明日以降、もう少し整理していくことにします。
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