最近、「猛暑注意報」なんてものが発表されてますねぇ。
夏は暑いことはわかってんだから、
これ以上、暑苦しい事は言わないでおくれ!
などと吠えたところでどうにかなるものでもなし(^^;
日に日に増え続ける熱中症の発症、
その被害を食い止めるためにも、必要な情報なのでしょう。
油断することなく、暑さと向き合わなければ....
さて、昨日の投稿で「マスコミを敵に回す」なんて威勢のいいことを書きましたが、
そこまでの論陣を張るつもりもありません。小心者ですから(^^;
ただ、考えていることだけは言わせてもらおうと思います♪
毎年のことですが、暑い夏の到来と共に、
この時期は「先の戦争」を題材にした報道がたくさんなされます。
この日本がたどった道、もう二度とその道を歩んではならない。
そのためにも、繰り返し繰り返し戦争の愚かさと平和のありがたさを訴える。
大変有意義な事であるのは事実でしょう。
メディアの扱いでは、一過性の、
イベント的なものになっていることが非常に残念ですが....
ただ、その被害の悲惨さのみを取り上げて、
「だから戦争はいけないんだ!」と声高に叫ぶだけが、
「反戦」の手法ではないといつも思います。
なぜ、先の戦争「だけ」を取り上げるの?
開戦を決断した「その瞬間」さえ「何とかする」ことが出来ていればよかったの?
あの戦争さえなかったら....
もっと早く戦争を止めていれば....
歴史に「もし」は絶対に禁忌だということは、
多少でも真面目に歴史に取り組んだ方ならおわかりでしょう。
「もし....」という考え方を受け入れることは、
歴史が教える重大な反省点や課題を、
「妄想」で塗り替えてしまう危険を生み出すことになりかねません。
また、「先の戦争」の被害の大きさのみを反戦の材料にするのは、
「歴史の流れ」を無視し、積み重なった間違いの重さを自覚する、
絶好の機会を失うことになってしまいます。
歴史の一部を切り出すような乱暴なことは止めて、
こういった「歴史の流れ」をしっかりと学ぶことが、
「反戦」の最も正しい方法だとσ(^^は考えます。
その流れの中には、日本の置かれた厳しい状況があり、
それに向き合う国家としての日本があり、政府がありました。
その運営のためには、国民を誘導し、軍産学含めて「挙国一致」の必要があり、
さらにその手法として政府はマスコミを利用した。
その結果、必要以上に世論が沸騰し、
政府が軍の暴走を押さえられなくなり、
悲惨な結末を迎えたというのが、
日本の近代史の側面のひとつだとσ(^^は考えます。
日清戦争前から日露戦争の時期、
国内で戦争の大義を示すためには、
「日本万歳」と報道する必要があった。
そして、幸か不幸か敗戦を経験しなかった日本は、
その体裁を維持し続けるために「日本万歳」を報道し続けなければならなかった。
その報道は、幼少期あるいは青年期の人間に「日本万歳」を刷り込み、
それを「信念」とした一部の軍人の暴走が、あの戦争を推し進めた。
その背景には、文民統制という概念がなかったことも事実でしょう。
勝ち続けなければ日本は滅ぶという思い込みがあったのも確かでしょう。
そして、そのご時世では「不可抗力」だったのかも知れませんが、
戦争への道を歩み続ける事になった国民、
その誘導を行ったマスコミも無関係ではないはずです。
こういった「ありとあらゆる積み重なり」を顧みなければ、
本当の意味での「反戦への思い」は成り立たないのではないでしょうか。
これはあくまでも、歴史にシンパを感じるσ(^^個人の思いです。
反論はありましょうが、どちらが正しいかなんて論戦するつもりはありません。
ただ、メディアの報道やジャーナリズムへは「こうあって欲しい」と願うところもあります。
「先の戦争」は、ひとつの例示に過ぎません。
その思いはまた次回以降に....
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント、ありがとうございます。