さて、被災地を一部だけですが見せて頂いて、
復興について、行政がすべきことなど、
我が身のこととして考えてみたいと思います。
現在のところ、国が行っている作業は、
「増税」を軸にした復興予算確保。
今後10年間で、少なくとも23兆円が必要だと。
えらい数字ですなぁ。想像も出来ませんよ。
で、何に使うのかということは決まってるの?
いいえ、阪神淡路の規模を参考に算出しました、
でも、被害額はある程度つかめているわけですから、
そんなものだろうと考えています、とは内閣府の資料より。
こちらは宮城県の震災復興計画(案)。
今後10年間で、単純復旧ではなく「再構築」を目指すとして、
きめ細かい計画が謳ってありますが、
復興にかかる費用は算出してないようです。
それぞれの地方自治体で復興計画が出来上がって、
国が増税を基にした財源を確保した上で、
被災各県や市町村で予算の分捕りあいが始まるのかなと。
そして、国も地方自治体も考えていることは全く同じで、
「民間資本へは公金を直接投入しない」
ということを基本姿勢としています。
砕けた言葉で言えば、
民間が立ち直るための下支えはするけども、
あとは自分の力でやってね、
でもそれでは乱暴だから、相談には乗るし、
お金も借りられやすくするからね、というところですね。
σ(^^が気にしている農業についても同様、
農家さんへの配慮は薄いように思います。
また、パブリックコメントでたくさん寄せられている、
「農林水産物への放射能検査」なんて、
そのシステムを確立するのに、
いったいどのぐらいのお金と人手が掛かる事やら....
そういった計算はこれからの事みたいです。
被災地自治体がまずしなければならないことは、
復旧・再構築にどれほどの費用が掛かるのか、
徹底的に調べ上げて、
予算の分捕りあいは有利に戦えるようにすることです。
現在も、他の自治体から専門職員の派遣は行われていますが、
その人手はきっと足りていないはずです。
足りないのであれば、σ(^^も行きますので、
「お手伝いよろしくぅ!」って言ってくれればいいんです。
喜んで参りますよ!
そして、行政が予算を確保しても、
どうにもならない「規制」というものもあります。
規制の緩和だけでなく、
放射線の安全基準のようにこれから決めなくてはならない事も。
これらについては、さんざん地方から要望が上がっているはず。
「立法」で速やかに解決すべきでしょう。
ここまで地方が取り組んでもなお、
素敵な話題で国会が盛り上がるのであれば、
この国は本当にダメになっていくのかも知れません。
そして、σ(^^;たち公務員も、
自分のことしか考えなくなっちゃう?
そりゃダメだ....
一緒に耐えよう、立ち直ろう!東北! がんばろう!日本!
2011年10月7日金曜日
2011年10月6日木曜日
仕事上、見なきゃ行けないところ....
塩竃を出たあと、
仙台市若林区から名取市内、
仙台空港のあたりの海岸沿いを見に行きました。
この一帯は、延々と続く優良農地。
専門用語でいう、
農用地(農振法)、
甲種農地(農地法)
ってやつです。
何度となく書いていますが、σ(^^の担当業務は農地転用許可。
このあたりに押し寄せた津波の映像を見て、
その後の復旧はどうなるんだう?とずっと考えていました。
いったい、どのような広さなんだ?
どこまで荒れているんだ?
「塩抜き」やらなんやかんやと、
耕作できるようになるまで3年掛かるという話も聞きました。
農業って、ただでさえ後継者、就農者不足で大変なんです。
農地の復旧、地主さん、または耕作者さんが、
「自腹」で復旧を行えるものではなさそうです。
しかも、そうまでして農業を続けることが出来るのか?
というぐらいに農家さんの高齢化は進んでいることでしょう。
だからといって、この一帯を農地から街へ開発することも、
今すぐは叶わないでしょうね。はてさてどうしたものやら....
それまで見せてもらった漁港、
漁師さんたちの熱意はものすごいものがありました。
復興はおれたちから始まる!
とおっしゃっているような気もしました。
農家さんたちはどうだろう?
σ(^^が担当している管内では、
「10年経ったら農家はなくなる」という地域がたくさんあるんです。
宮城県内の農業事情についてはそんなに知りませんが、
全国的に農業というものは同じ傾向にあると聞いています。
例えば、農地をキレイに戻すことが出来たとして、
農家さん方にとって、
かつてと同じ状況にしかならないのであれば、それこそ、
「無理して辛い状況に戻ることはない」
という選択だってされるかも知れません。
そうではないですよ、
農業にだって夢をかけることが出来るようになるんですよ、
ということをしっかりとデザインできれば、
農業の復興もやりやすいのかなぁ....
いや、この方向は宮城県内の復興だけでなく、
全国各地の農業にとってモデルケースとなるはずです。
ちょいと注目ですな(^^
仙台市若林区から名取市内、
仙台空港のあたりの海岸沿いを見に行きました。
この一帯は、延々と続く優良農地。
専門用語でいう、
農用地(農振法)、
甲種農地(農地法)
ってやつです。
何度となく書いていますが、σ(^^の担当業務は農地転用許可。
このあたりに押し寄せた津波の映像を見て、
その後の復旧はどうなるんだう?とずっと考えていました。
いったい、どのような広さなんだ?
どこまで荒れているんだ?
「塩抜き」やらなんやかんやと、
耕作できるようになるまで3年掛かるという話も聞きました。
農業って、ただでさえ後継者、就農者不足で大変なんです。
農地の復旧、地主さん、または耕作者さんが、
「自腹」で復旧を行えるものではなさそうです。
しかも、そうまでして農業を続けることが出来るのか?
というぐらいに農家さんの高齢化は進んでいることでしょう。
だからといって、この一帯を農地から街へ開発することも、
今すぐは叶わないでしょうね。はてさてどうしたものやら....
それまで見せてもらった漁港、
漁師さんたちの熱意はものすごいものがありました。
復興はおれたちから始まる!
とおっしゃっているような気もしました。
農家さんたちはどうだろう?
σ(^^が担当している管内では、
「10年経ったら農家はなくなる」という地域がたくさんあるんです。
宮城県内の農業事情についてはそんなに知りませんが、
全国的に農業というものは同じ傾向にあると聞いています。
例えば、農地をキレイに戻すことが出来たとして、
農家さん方にとって、
かつてと同じ状況にしかならないのであれば、それこそ、
「無理して辛い状況に戻ることはない」
という選択だってされるかも知れません。
そうではないですよ、
農業にだって夢をかけることが出来るようになるんですよ、
ということをしっかりとデザインできれば、
農業の復興もやりやすいのかなぁ....
いや、この方向は宮城県内の復興だけでなく、
全国各地の農業にとってモデルケースとなるはずです。
ちょいと注目ですな(^^
2011年10月5日水曜日
北上川沿いを通って石巻、松島、そして塩竃....
北上川。
走っていて、海岸沿いとばかり思っていました。
こんなに大きな川ですから、
津波の遡上も大規模なものだったのですね。
後で地図を見てびっくり。
こんな所までか!と思うぐらい、
かなり上流の土手がえぐられたりしてました。
さて、石巻港では少し雰囲気が変わります。
こちらは漁港と商業港というふたつの顔がある所。
大きな施設が建ち並んでいて、
その解体作業が少しずつ進んでいました。
コンクリートの瓦礫と解体時の粉じん。
雰囲気ですけどね、
「復興真っ最中だなぁ」
と感じることが出来ました。
まだまだ緒に就いたところでしょうけども。
その近所の、再開したばかりのローソンでは、
スタッフのみなさんが元気いっぱいお仕事されてました。
ちょうどお昼時の忙しい時間帯も重なって、
ちょっとした騒ぎに近い店内に感動。
でもここだけは涙をこらえました。
だって、半泣きでコーヒー買う客ってどうよ?(^^;
ひとつだけ残念なのは、
石巻で魚屋さんを見つける事が出なかったこと。
大渋滞を起こしていた道へ引き返して、
市街地に行けばよかったのかも知れませんが、
午後2時までに塩竃へ行かなくてはならないので、ごめんなさい!
松島。
ここは観光客がかなり戻ってきているのかな?
震災前の土曜日とは比べものにならないでしょうけども、
お客さんの表情を見ていると、
観光地としての「いい顔」を取り戻しつつあるんでしょうね。
そして、ここまで戻るのに、
みなさん、本当にご苦労なさったんだと感じました。
松島を通り抜けて塩竃、水産物仲卸市場へ。
「午後2時」という制限は、この市場の営業終了時間なのです。
あのおばちゃん、まだお元気でしょうか。
到着したのは1時過ぎ。
まずは市場の中を散策。
「あのおばちゃん」と、どんなお魚があるのかをチェック。
中では、1/3ほどのお店は開いていなかったように思いますが、
開いている所の元気のいいこと。
場内を一周するまでに3カ所で買い物、
おばちゃんの姿は確認できずにもう一周探してみようと回って、
2カ所でさらに買い物。
5カ所のうちほとんどが、実は「意図しない」買い物でした。
押しに弱い「いいお客さん」のようですσ(^^;
結局、おばちゃんは見つからず。
まあ、10年経ってますから、
引退されているかも?ということで気持ちを納めました。
津波の被害に遭われていないことを祈りながら....
もうひとつ悪い知らせは、
10年前に買った塩竃のキンキは、
塩竃産ではないことが判明しました。
大抵は北海道で揚がったものなんですって。ちと残念。
塩竃でのお買い物。
アイナメ、イシモチ、メバル、キンキ、サザエ、ワタリガニ、
中トロ切り身、ドンコ、ヒラメ、あとなんだっけ?....
走っていて、海岸沿いとばかり思っていました。
こんなに大きな川ですから、
津波の遡上も大規模なものだったのですね。
後で地図を見てびっくり。
こんな所までか!と思うぐらい、
かなり上流の土手がえぐられたりしてました。
さて、石巻港では少し雰囲気が変わります。
こちらは漁港と商業港というふたつの顔がある所。
大きな施設が建ち並んでいて、
その解体作業が少しずつ進んでいました。
コンクリートの瓦礫と解体時の粉じん。
雰囲気ですけどね、
「復興真っ最中だなぁ」
と感じることが出来ました。
まだまだ緒に就いたところでしょうけども。
その近所の、再開したばかりのローソンでは、
スタッフのみなさんが元気いっぱいお仕事されてました。
ちょうどお昼時の忙しい時間帯も重なって、
ちょっとした騒ぎに近い店内に感動。
でもここだけは涙をこらえました。
だって、半泣きでコーヒー買う客ってどうよ?(^^;
ひとつだけ残念なのは、
石巻で魚屋さんを見つける事が出なかったこと。
大渋滞を起こしていた道へ引き返して、
市街地に行けばよかったのかも知れませんが、
午後2時までに塩竃へ行かなくてはならないので、ごめんなさい!
松島。
ここは観光客がかなり戻ってきているのかな?
震災前の土曜日とは比べものにならないでしょうけども、
お客さんの表情を見ていると、
観光地としての「いい顔」を取り戻しつつあるんでしょうね。
そして、ここまで戻るのに、
みなさん、本当にご苦労なさったんだと感じました。
松島を通り抜けて塩竃、水産物仲卸市場へ。
「午後2時」という制限は、この市場の営業終了時間なのです。
あのおばちゃん、まだお元気でしょうか。
到着したのは1時過ぎ。
まずは市場の中を散策。
「あのおばちゃん」と、どんなお魚があるのかをチェック。
中では、1/3ほどのお店は開いていなかったように思いますが、
開いている所の元気のいいこと。
場内を一周するまでに3カ所で買い物、
おばちゃんの姿は確認できずにもう一周探してみようと回って、
2カ所でさらに買い物。
5カ所のうちほとんどが、実は「意図しない」買い物でした。
押しに弱い「いいお客さん」のようですσ(^^;
結局、おばちゃんは見つからず。
まあ、10年経ってますから、
引退されているかも?ということで気持ちを納めました。
津波の被害に遭われていないことを祈りながら....
もうひとつ悪い知らせは、
10年前に買った塩竃のキンキは、
塩竃産ではないことが判明しました。
大抵は北海道で揚がったものなんですって。ちと残念。
塩竃でのお買い物。
アイナメ、イシモチ、メバル、キンキ、サザエ、ワタリガニ、
中トロ切り身、ドンコ、ヒラメ、あとなんだっけ?....
2011年10月4日火曜日
海沿いの道路を通って南三陸町....
(連投です)
もう、涙をガマンすることは出来なくなっていました。
運転しながら涙を流すなんて....
海沿いの道、行けども行けども被災地なんです。
もちろん、平坦な道ではないので、アップダウンがあります。
波に流された集落を見て涙して、
高台の被害のないところを見てホッとする。
また低いところ来て....という繰り返し。
すれ違うダンプカーのフロントガラスには、
「頑張ろう!東北」という文字がでかでかと掲げられていました。
σ(^^も口にする「頑張ろう!日本」とは性質が違うことに気がつきます。
被災地の外から言ってても、どうしても「人ごと」なんですよね。
現地の「頑張ろう」は、
「生きていくんだ」
という決意から出てくる言葉なんでしょう。
この強い思いに気がついて、また涙。
途中、道路の寸断で迂回させられるところがいくつか。
山間の細い峠道へ途中、
「ここ、標高何mよ?」
というところまで波にえぐられた跡があります。
「津波に備える」という言葉、
海沿いの町で生活しているσ(^^;も、
本気で考え直さないとダメですね。
その後、南三陸町へ。
ここで言葉を失います。
周囲360度、どこを見ても
「茶色」く
「壊滅した」
光景が広がっています。
きっと、被災前は活気のあった町なのでは、
そんな名残だけは残っている気がしました。
ここで、写真を撮ることの意味を失いました。
この光景のどこか一部を切り取ることに、
どんな意味があるんだろう?
そして、頭を殴られたような感覚に襲われるのは、
報道でシンボリックに伝えられていたあの防災センター、
その前に止まった観光バスから、
大人数がカメラを持って降りてきたのを見た時。
「大災害を知る」そんなテーマで、
パックツアーが組まれていても不思議ではありません。
でも、それって....
σ(^^;がここにいる理由も何ら違いません。
σ(^^;もあの「お客さんたち」も、全く同じ事をしている訳です。
どんなに偉そうなご託を並べてみたところで、
σ(^^;もただの観光客なんだと思い知らされるのです。
逃げ出したくなりましたよ、本当に....
情けないやら悲しいやら。
これ以降、写真を撮ることを止めて、
代わりに、この光景は頭の中に焼き付けて置こうと誓いました。
そんなわけで、文字だらけの、
「いつもの投稿」になりますがご容赦を。
南三陸で半泣きになって買ったお魚。
秋鮭、ドンコ(深海魚?)、かま(何のだっけ?)、水だこ....
もう、涙をガマンすることは出来なくなっていました。
運転しながら涙を流すなんて....
海沿いの道、行けども行けども被災地なんです。
もちろん、平坦な道ではないので、アップダウンがあります。
波に流された集落を見て涙して、
高台の被害のないところを見てホッとする。
また低いところ来て....という繰り返し。
すれ違うダンプカーのフロントガラスには、
「頑張ろう!東北」という文字がでかでかと掲げられていました。
σ(^^も口にする「頑張ろう!日本」とは性質が違うことに気がつきます。
被災地の外から言ってても、どうしても「人ごと」なんですよね。
現地の「頑張ろう」は、
「生きていくんだ」
という決意から出てくる言葉なんでしょう。
この強い思いに気がついて、また涙。
途中、道路の寸断で迂回させられるところがいくつか。
山間の細い峠道へ途中、
「ここ、標高何mよ?」
というところまで波にえぐられた跡があります。
「津波に備える」という言葉、
海沿いの町で生活しているσ(^^;も、
本気で考え直さないとダメですね。
その後、南三陸町へ。
ここで言葉を失います。
周囲360度、どこを見ても
「茶色」く
「壊滅した」
光景が広がっています。
きっと、被災前は活気のあった町なのでは、
そんな名残だけは残っている気がしました。
ここで、写真を撮ることの意味を失いました。
この光景のどこか一部を切り取ることに、
どんな意味があるんだろう?
そして、頭を殴られたような感覚に襲われるのは、
報道でシンボリックに伝えられていたあの防災センター、
その前に止まった観光バスから、
大人数がカメラを持って降りてきたのを見た時。
「大災害を知る」そんなテーマで、
パックツアーが組まれていても不思議ではありません。
でも、それって....
σ(^^;がここにいる理由も何ら違いません。
σ(^^;もあの「お客さんたち」も、全く同じ事をしている訳です。
どんなに偉そうなご託を並べてみたところで、
σ(^^;もただの観光客なんだと思い知らされるのです。
逃げ出したくなりましたよ、本当に....
情けないやら悲しいやら。
これ以降、写真を撮ることを止めて、
代わりに、この光景は頭の中に焼き付けて置こうと誓いました。
そんなわけで、文字だらけの、
「いつもの投稿」になりますがご容赦を。
南三陸で半泣きになって買ったお魚。
秋鮭、ドンコ(深海魚?)、かま(何のだっけ?)、水だこ....
宮城県内の被災地を見て回って....
本当に見に行って見いいのか?と悩んで悩んで、
ようやく「現地」を見せて頂きました。
被災地の方々には、お礼申し上げたいと思います。
ただ車で走るだけなのに、
それすら簡単ではない事にかなり戸惑いました。
もともと道がわからないので、
ナビさんに案内をしてもらうのですが、
ナビさんが言う「目印」、コンビニや飲食店などが、
その場所にないんです。
道路の状況は、がれきが片付けられ、
ようやく車は通ることが出来るようになったという程度。
当然、まだ途切れたまま復旧していない道路も、
地盤沈下したまま冠水して入ることが出来ない区画もあります。
ただ、その町を通行することが、容易でないのです。
冷静に見て回ることが出来なかった道中ですが、
見たまま、感じたままを書いてみます。
お付き合いください。
まずお邪魔したのは気仙沼。
水揚げが始まっているという報道を目にしていましたから、
魚市場の競りを見せてもらうつもりでした。
AM6:00、ホテルを出て払暁の市街地へ。
海が近づくにつれ、少しずつ波が届いた形跡が増えていきます。
ある交差点の角を曲がった瞬間、町の姿は一変しました。
頑丈な鉄筋のものをのぞいて、建物はほぼ壊滅。
道路はアスファルトがはぎ取られ、
冠水には砂利を盛って対応されています。
信号機なんてものは1本もありません。
冠水で寸断されているのは当たり前、
そもそもあったはずの路面が消えてなくなっている所も。
ひしゃげられ焼かれた、おそらくは自動車だった物体が、
冠水した区画の中にぽつんと残されています。
「気がつけば涙が流れていた」という経験、初めてです。
一方、魚市場には活気が戻りつつあるのかな。
まあ、全盛期からすればまだまだなんでしょうけども。
この朝、揚がった魚は....
秋刀魚
鰹
カジキマグロ
魚を船から降ろす作業、
まるで単純作業を繰り返すかのように進められていましたが、
よくよく見れば、言葉を交わさなくても、
次はこれ、その次はこうと、
本当に「流れるような」美しい工程でありました。
すばらしかった。
こみ上げる感情を抑えつつ、
何枚かの写真を撮影することは出来ました。
でも、画像を見ていて、何か違和感があるんです。
その違和感は、次の町で気づくことになります。
今回の遠征、もうひとつのテーマが「お魚」です。
訪問先で出来る限り買って帰ろうとして来ました。
気仙沼では、鰹1本、秋刀魚(超特大)5本....
さすがにカジキマグロは買えません(^^;
ようやく「現地」を見せて頂きました。
被災地の方々には、お礼申し上げたいと思います。
ただ車で走るだけなのに、
それすら簡単ではない事にかなり戸惑いました。
もともと道がわからないので、
ナビさんに案内をしてもらうのですが、
ナビさんが言う「目印」、コンビニや飲食店などが、
その場所にないんです。
道路の状況は、がれきが片付けられ、
ようやく車は通ることが出来るようになったという程度。
当然、まだ途切れたまま復旧していない道路も、
地盤沈下したまま冠水して入ることが出来ない区画もあります。
ただ、その町を通行することが、容易でないのです。
冷静に見て回ることが出来なかった道中ですが、
見たまま、感じたままを書いてみます。
お付き合いください。
まずお邪魔したのは気仙沼。
水揚げが始まっているという報道を目にしていましたから、
魚市場の競りを見せてもらうつもりでした。
AM6:00、ホテルを出て払暁の市街地へ。
海が近づくにつれ、少しずつ波が届いた形跡が増えていきます。
ある交差点の角を曲がった瞬間、町の姿は一変しました。
頑丈な鉄筋のものをのぞいて、建物はほぼ壊滅。
道路はアスファルトがはぎ取られ、
冠水には砂利を盛って対応されています。
信号機なんてものは1本もありません。
冠水で寸断されているのは当たり前、
そもそもあったはずの路面が消えてなくなっている所も。
ひしゃげられ焼かれた、おそらくは自動車だった物体が、
冠水した区画の中にぽつんと残されています。
「気がつけば涙が流れていた」という経験、初めてです。
一方、魚市場には活気が戻りつつあるのかな。
まあ、全盛期からすればまだまだなんでしょうけども。
この朝、揚がった魚は....
秋刀魚
鰹
カジキマグロ
魚を船から降ろす作業、
まるで単純作業を繰り返すかのように進められていましたが、
よくよく見れば、言葉を交わさなくても、
次はこれ、その次はこうと、
本当に「流れるような」美しい工程でありました。
すばらしかった。
こみ上げる感情を抑えつつ、
何枚かの写真を撮影することは出来ました。
でも、画像を見ていて、何か違和感があるんです。
その違和感は、次の町で気づくことになります。
今回の遠征、もうひとつのテーマが「お魚」です。
訪問先で出来る限り買って帰ろうとして来ました。
気仙沼では、鰹1本、秋刀魚(超特大)5本....
さすがにカジキマグロは買えません(^^;
2011年10月2日日曜日
このままベッドでバタンキュー....
宮城遠征、終了しました!
この道中の走行距離1,800km。
家に辿り着く事が出来てほっとしていますが、
まだまだ頭の中は混乱中です(^^;
ひとつだけ、今ひとつだけ言える事は、
みなさん、一生懸命に「生きておられる」という事でしょうか。
そして、行政の「ふがいなさ」を噛みしめてきました....
このあたりは、後日に....
今回の遠征では、
ミニスポンサーの室谷嘉一様に、
ご挨拶申し上げる事も叶いました!(^^;
美味しいお酒と料理を頂きながら、
本当にいろんな事をお話しする事が出来ました。
楽しい、素敵な時間を頂く事が出来て、
今期のモチベーションもさらに高まりました。
ありがとうございました!
山本新之介、ひとまわり大きくなりました。
大きく成長する事が出来た遠征でした!
あ、そこのあなたに、ひとつだけ言っておきますよ。
帰宅後、体重は1kg減りましたからね(^^
くれぐれも誤解なさらないように♪
では、お休みなさい(^^
この道中の走行距離1,800km。
家に辿り着く事が出来てほっとしていますが、
まだまだ頭の中は混乱中です(^^;
ひとつだけ、今ひとつだけ言える事は、
みなさん、一生懸命に「生きておられる」という事でしょうか。
そして、行政の「ふがいなさ」を噛みしめてきました....
このあたりは、後日に....
今回の遠征では、
ミニスポンサーの室谷嘉一様に、
ご挨拶申し上げる事も叶いました!(^^;
美味しいお酒と料理を頂きながら、
本当にいろんな事をお話しする事が出来ました。
楽しい、素敵な時間を頂く事が出来て、
今期のモチベーションもさらに高まりました。
ありがとうございました!
山本新之介、ひとまわり大きくなりました。
大きく成長する事が出来た遠征でした!
あ、そこのあなたに、ひとつだけ言っておきますよ。
帰宅後、体重は1kg減りましたからね(^^
くれぐれも誤解なさらないように♪
では、お休みなさい(^^
2011年10月1日土曜日
σ(^^;もがんばれ・・・・
気仙沼から仙台空港の辺りまで、
海岸に沿って走りました。
もう、頭の中がぐちゃぐちゃです・・・・
陳腐な、本当にチンプな表現ですが、
言葉にできません。
もう少し頭を整理する時間を下さい。
がんばろう日本!
そして、σ(^^;もがんばれ!
とりあえず、泣くだけ泣いて、
買えるだけお魚を買いました♪
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