一緒に耐えよう、立ち直ろう!東北! がんばろう!日本!

2011年10月7日金曜日

行政の役割....

さて、被災地を一部だけですが見せて頂いて、

復興について、行政がすべきことなど、

我が身のこととして考えてみたいと思います。


現在のところ、国が行っている作業は、

「増税」を軸にした復興予算確保。

今後10年間で、少なくとも23兆円が必要だと。

えらい数字ですなぁ。想像も出来ませんよ。


で、何に使うのかということは決まってるの?

いいえ、阪神淡路の規模を参考に算出しました、

でも、被害額はある程度つかめているわけですから、

そんなものだろうと考えています、とは内閣府の資料より。


こちらは宮城県の震災復興計画(案)

今後10年間で、単純復旧ではなく「再構築」を目指すとして、

きめ細かい計画が謳ってありますが、

復興にかかる費用は算出してないようです。


それぞれの地方自治体で復興計画が出来上がって、

国が増税を基にした財源を確保した上で、

被災各県や市町村で予算の分捕りあいが始まるのかなと。


そして、国も地方自治体も考えていることは全く同じで、

「民間資本へは公金を直接投入しない」

ということを基本姿勢としています。

砕けた言葉で言えば、

民間が立ち直るための下支えはするけども、

あとは自分の力でやってね、

でもそれでは乱暴だから、相談には乗るし、

お金も借りられやすくするからね、というところですね。


σ(^^が気にしている農業についても同様、

農家さんへの配慮は薄いように思います。


また、パブリックコメントでたくさん寄せられている、

「農林水産物への放射能検査」なんて、

そのシステムを確立するのに、

いったいどのぐらいのお金と人手が掛かる事やら....

そういった計算はこれからの事みたいです。


被災地自治体がまずしなければならないことは、

復旧・再構築にどれほどの費用が掛かるのか、

徹底的に調べ上げて、

予算の分捕りあいは有利に戦えるようにすることです。


現在も、他の自治体から専門職員の派遣は行われていますが、

その人手はきっと足りていないはずです。

足りないのであれば、σ(^^も行きますので、

「お手伝いよろしくぅ!」って言ってくれればいいんです。

喜んで参りますよ!


そして、行政が予算を確保しても、

どうにもならない「規制」というものもあります。

規制の緩和だけでなく、

放射線の安全基準のようにこれから決めなくてはならない事も。


これらについては、さんざん地方から要望が上がっているはず。

「立法」で速やかに解決すべきでしょう。


ここまで地方が取り組んでもなお、

素敵な話題で国会が盛り上がるのであれば、

この国は本当にダメになっていくのかも知れません。


そして、σ(^^;たち公務員も、

自分のことしか考えなくなっちゃう?

そりゃダメだ....

2011年10月6日木曜日

仕事上、見なきゃ行けないところ....

塩竃を出たあと、

仙台市若林区から名取市内、

仙台空港のあたりの海岸沿いを見に行きました。


この一帯は、延々と続く優良農地。

専門用語でいう、

農用地(農振法)

甲種農地(農地法)

ってやつです。


何度となく書いていますが、σ(^^の担当業務は農地転用許可

このあたりに押し寄せた津波の映像を見て、

その後の復旧はどうなるんだう?とずっと考えていました。


いったい、どのような広さなんだ?

どこまで荒れているんだ?


「塩抜き」やらなんやかんやと、

耕作できるようになるまで3年掛かるという話も聞きました。

農業って、ただでさえ後継者、就農者不足で大変なんです。

農地の復旧、地主さん、または耕作者さんが、

「自腹」で復旧を行えるものではなさそうです。


しかも、そうまでして農業を続けることが出来るのか?

というぐらいに農家さんの高齢化は進んでいることでしょう。


だからといって、この一帯を農地から街へ開発することも、

今すぐは叶わないでしょうね。はてさてどうしたものやら....


それまで見せてもらった漁港、

漁師さんたちの熱意はものすごいものがありました。

復興はおれたちから始まる!

とおっしゃっているような気もしました。


農家さんたちはどうだろう?

σ(^^が担当している管内では、

「10年経ったら農家はなくなる」という地域がたくさんあるんです。


宮城県内の農業事情についてはそんなに知りませんが、

全国的に農業というものは同じ傾向にあると聞いています。


例えば、農地をキレイに戻すことが出来たとして、

農家さん方にとって、

かつてと同じ状況にしかならないのであれば、それこそ、

「無理して辛い状況に戻ることはない」

という選択だってされるかも知れません。


そうではないですよ、

農業にだって夢をかけることが出来るようになるんですよ、

ということをしっかりとデザインできれば、

農業の復興もやりやすいのかなぁ....


いや、この方向は宮城県内の復興だけでなく、

全国各地の農業にとってモデルケースとなるはずです。

ちょいと注目ですな(^^

2011年10月5日水曜日

北上川沿いを通って石巻、松島、そして塩竃....

北上川

走っていて、海岸沿いとばかり思っていました。

こんなに大きな川ですから、

津波の遡上も大規模なものだったのですね。


後で地図を見てびっくり。

こんな所までか!と思うぐらい、

かなり上流の土手がえぐられたりしてました。


さて、石巻港では少し雰囲気が変わります。

こちらは漁港と商業港というふたつの顔がある所。

大きな施設が建ち並んでいて、

その解体作業が少しずつ進んでいました。


コンクリートの瓦礫と解体時の粉じん。

雰囲気ですけどね、

「復興真っ最中だなぁ」

と感じることが出来ました。

まだまだ緒に就いたところでしょうけども。


その近所の、再開したばかりのローソンでは、

スタッフのみなさんが元気いっぱいお仕事されてました。

ちょうどお昼時の忙しい時間帯も重なって、

ちょっとした騒ぎに近い店内に感動。


でもここだけは涙をこらえました。

だって、半泣きでコーヒー買う客ってどうよ?(^^;


ひとつだけ残念なのは、

石巻で魚屋さんを見つける事が出なかったこと。

大渋滞を起こしていた道へ引き返して、

市街地に行けばよかったのかも知れませんが、

午後2時までに塩竃へ行かなくてはならないので、ごめんなさい!


松島。

ここは観光客がかなり戻ってきているのかな?

震災前の土曜日とは比べものにならないでしょうけども、

お客さんの表情を見ていると、

観光地としての「いい顔」を取り戻しつつあるんでしょうね。


そして、ここまで戻るのに、

みなさん、本当にご苦労なさったんだと感じました。


松島を通り抜けて塩竃、水産物仲卸市場へ。

「午後2時」という制限は、この市場の営業終了時間なのです。

あのおばちゃん、まだお元気でしょうか。


到着したのは1時過ぎ。

まずは市場の中を散策。

「あのおばちゃん」と、どんなお魚があるのかをチェック。


中では、1/3ほどのお店は開いていなかったように思いますが、

開いている所の元気のいいこと。


場内を一周するまでに3カ所で買い物、

おばちゃんの姿は確認できずにもう一周探してみようと回って、

2カ所でさらに買い物。


5カ所のうちほとんどが、実は「意図しない」買い物でした。

押しに弱い「いいお客さん」のようですσ(^^;


結局、おばちゃんは見つからず。

まあ、10年経ってますから、

引退されているかも?ということで気持ちを納めました。


津波の被害に遭われていないことを祈りながら....


もうひとつ悪い知らせは、

10年前に買った塩竃のキンキは、

塩竃産ではないことが判明しました。

大抵は北海道で揚がったものなんですって。ちと残念。


塩竃でのお買い物。

アイナメ、イシモチ、メバル、キンキ、サザエ、ワタリガニ、

中トロ切り身、ドンコ、ヒラメ、あとなんだっけ?....

2011年10月4日火曜日

海沿いの道路を通って南三陸町....

(連投です)

もう、涙をガマンすることは出来なくなっていました。

運転しながら涙を流すなんて....


海沿いの道、行けども行けども被災地なんです。

もちろん、平坦な道ではないので、アップダウンがあります。


波に流された集落を見て涙して、

高台の被害のないところを見てホッとする。

また低いところ来て....という繰り返し。


すれ違うダンプカーのフロントガラスには、

「頑張ろう!東北」という文字がでかでかと掲げられていました。

σ(^^も口にする「頑張ろう!日本」とは性質が違うことに気がつきます。


被災地の外から言ってても、どうしても「人ごと」なんですよね。

現地の「頑張ろう」は、

「生きていくんだ」

という決意から出てくる言葉なんでしょう。

この強い思いに気がついて、また涙。


途中、道路の寸断で迂回させられるところがいくつか。

山間の細い峠道へ途中、

「ここ、標高何mよ?」

というところまで波にえぐられた跡があります。


「津波に備える」という言葉、

海沿いの町で生活しているσ(^^;も、

本気で考え直さないとダメですね。


その後、南三陸町へ。

ここで言葉を失います。

周囲360度、どこを見ても

「茶色」く

「壊滅した」

光景が広がっています。


きっと、被災前は活気のあった町なのでは、

そんな名残だけは残っている気がしました。


ここで、写真を撮ることの意味を失いました。

この光景のどこか一部を切り取ることに、

どんな意味があるんだろう?


そして、頭を殴られたような感覚に襲われるのは、

報道でシンボリックに伝えられていたあの防災センター

その前に止まった観光バスから、

大人数がカメラを持って降りてきたのを見た時。


「大災害を知る」そんなテーマで、

パックツアーが組まれていても不思議ではありません。


でも、それって....

σ(^^;がここにいる理由も何ら違いません。

σ(^^;もあの「お客さんたち」も、全く同じ事をしている訳です。


どんなに偉そうなご託を並べてみたところで、

σ(^^;もただの観光客なんだと思い知らされるのです。

逃げ出したくなりましたよ、本当に....


情けないやら悲しいやら。

これ以降、写真を撮ることを止めて、

代わりに、この光景は頭の中に焼き付けて置こうと誓いました。


そんなわけで、文字だらけの、

「いつもの投稿」になりますがご容赦を。


南三陸で半泣きになって買ったお魚。

秋鮭、ドンコ(深海魚?)、かま(何のだっけ?)、水だこ....

宮城県内の被災地を見て回って....

本当に見に行って見いいのか?と悩んで悩んで、

ようやく「現地」を見せて頂きました。

被災地の方々には、お礼申し上げたいと思います。


ただ車で走るだけなのに、

それすら簡単ではない事にかなり戸惑いました。


もともと道がわからないので、

ナビさんに案内をしてもらうのですが、

ナビさんが言う「目印」、コンビニや飲食店などが、

その場所にないんです。


道路の状況は、がれきが片付けられ、

ようやく車は通ることが出来るようになったという程度。

当然、まだ途切れたまま復旧していない道路も、

地盤沈下したまま冠水して入ることが出来ない区画もあります。

ただ、その町を通行することが、容易でないのです。


冷静に見て回ることが出来なかった道中ですが、

見たまま、感じたままを書いてみます。

お付き合いください。


まずお邪魔したのは気仙沼。

水揚げが始まっているという報道を目にしていましたから、

魚市場の競りを見せてもらうつもりでした。


AM6:00、ホテルを出て払暁の市街地へ。

海が近づくにつれ、少しずつ波が届いた形跡が増えていきます。

ある交差点の角を曲がった瞬間、町の姿は一変しました。
















頑丈な鉄筋のものをのぞいて、建物はほぼ壊滅。

道路はアスファルトがはぎ取られ、

冠水には砂利を盛って対応されています。

信号機なんてものは1本もありません。


冠水で寸断されているのは当たり前、

そもそもあったはずの路面が消えてなくなっている所も。
















ひしゃげられ焼かれた、おそらくは自動車だった物体が、

冠水した区画の中にぽつんと残されています。


「気がつけば涙が流れていた」という経験、初めてです。


一方、魚市場には活気が戻りつつあるのかな。

まあ、全盛期からすればまだまだなんでしょうけども。

この朝、揚がった魚は....









秋刀魚



























カジキマグロ






魚を船から降ろす作業、

まるで単純作業を繰り返すかのように進められていましたが、
















よくよく見れば、言葉を交わさなくても、

次はこれ、その次はこうと、
















本当に「流れるような」美しい工程でありました。

すばらしかった。


こみ上げる感情を抑えつつ、

何枚かの写真を撮影することは出来ました。


でも、画像を見ていて、何か違和感があるんです。

その違和感は、次の町で気づくことになります。


今回の遠征、もうひとつのテーマが「お魚」です。

訪問先で出来る限り買って帰ろうとして来ました。

気仙沼では、鰹1本、秋刀魚(超特大)5本....


さすがにカジキマグロは買えません(^^;

2011年10月2日日曜日

このままベッドでバタンキュー....

宮城遠征、終了しました!


この道中の走行距離1,800km。

家に辿り着く事が出来てほっとしていますが、

まだまだ頭の中は混乱中です(^^;


ひとつだけ、今ひとつだけ言える事は、

みなさん、一生懸命に「生きておられる」という事でしょうか。

そして、行政の「ふがいなさ」を噛みしめてきました....

このあたりは、後日に....


今回の遠征では、

ミニスポンサーの室谷嘉一様に、

ご挨拶申し上げる事も叶いました!(^^;


美味しいお酒と料理を頂きながら、

本当にいろんな事をお話しする事が出来ました。

楽しい、素敵な時間を頂く事が出来て、

今期のモチベーションもさらに高まりました。

ありがとうございました!


山本新之介、ひとまわり大きくなりました。

大きく成長する事が出来た遠征でした!


あ、そこのあなたに、ひとつだけ言っておきますよ。

帰宅後、体重は1kg減りましたからね(^^

くれぐれも誤解なさらないように♪


では、お休みなさい(^^

2011年10月1日土曜日

σ(^^;もがんばれ・・・・

気仙沼から仙台空港の辺りまで、

海岸に沿って走りました。

もう、頭の中がぐちゃぐちゃです・・・・


陳腐な、本当にチンプな表現ですが、

言葉にできません。

もう少し頭を整理する時間を下さい。


がんばろう日本!

そして、σ(^^;もがんばれ!


とりあえず、泣くだけ泣いて、

買えるだけお魚を買いました♪