「歴史」と言えば、真っ先に思い浮かぶのが「学校の授業」ですよね。
もしくは「専門家の領域」というイメージでしょうか....
どちらにしても、ふつーに生活していると「シンパシー」なんて感じませんね(^^;
でも、何か興味のあることを掘り下げようとした時に、
「その歴史」を知っているのと知らないのとでは大きな差があると思うんです。
車いすハンドボールの今後を語るのであれば、
「車いすハンドボールの歴史」を手繰らなければということで、
まずはその発祥からまとめてみましょう。
そもそも、車いすハンドボールは、
車椅子バスケットボールに取り組む事が出来ない重度な障害者の方に、
「スポーツの楽しさ」を解ってもらいたいという発想から始まっています。
出来る限りシンプルで運動能力に差の出にくいルール。
危険な接触行為はダメ。
扱いやすいボール。
走りやすい広さのコート。
守りやすい大きさゴール....
様々な工夫を凝らして、いわゆる「京都ルール」が完成しました。
ルールが出来上がった時に付けられたのが「車いすハンドボール」という名前で、
健常のハンドボールとは、一切関わりのないスポーツです。
重度の障害者のみではなく、老若男女健常身障問わずスポーツを通じて交流を深め、
楽しい時間を過ごそうと言うのが大目的です。
このルールで始まった「全京都車いすハンドボール大会」は今年で24回目の開催となり、
毎年毎年、この大会を楽しみにしている方々が多くの参加をされています。
そして、一番最初にこのルールが京都を飛び出した先は東北地方でした。
彼の地でも車いすハンドボールは普及し始め、
東日本大会として開催が続けられていたようです。
ただ、「京都」と「東北」は遠く離れているので互いに交流し合うこともなく、
σ(^^自身、東北地方で車いすハンドボールが盛り上がっているなんて全く知りませんでした。
そんなふたつの地域が相まみえる機会がありました!
宮城県で開催された全国障害者スポーツ大会(いわゆる「国体」)に、
オープン競技として車いすハンドボールが採用されたのです。
当時、京都ルールにおいてすでに「無敵」を誇っていたσ(^^たちドリーマーズ。
例え開催地が遠くアウェーであったとしても、
「負け知らず」で、発祥地のチームという「プライド」も合わさって、意気揚々と乗り込みました。
そして、現在にまで至る因縁のライバル、
「宮城フェニックス」との初対決と相成るわけです(^^
次回「死闘!初対決!!」
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