タイトルは、かつてσ(^^が耳にしたある知り合いの言葉です。
まあ、人それぞれ、さもありなん。
それは「卑下」でもなく、こちらが「非難」するようなことでもありません。
そういう考え方、生き方があるという事は尊重されるべきですし、
σ(^^も「勉強」に繋がる出来事でした。
σ(^^は「絶望」自体が「終わりそのもの」ではないと解っていますので、
「したいことはトコトンまでする」と決めています。
ただ、行動力が無く、口先で生きているだけで(^^;サイテーナヤツデスナ....
まあ、本音を言えばイヤになることはたくさんありますよ。
というか、いろいろ考えていれば、
イヤになることがほとんどと言ってもいいかもしれませんが。
「我思う、故に我有り」という言葉。
デカルトだったかな?
高校の社会の授業、哲学を宣う教師の言葉に
「訳のわからんこと言うな!ケンカ売ってんのかこの野郎!」
と内心思いつつ、毎時間、σ(^^;は夢の中を彷徨っていました。
歳を取ったからなのか、
最近はちょっとずつ、「あ、その気持ち解るな」と
哲学的な言葉にも耳を傾けるようになってきています。
「我思う~」も解釈は違うでしょうけども、
「考え続ける」ことがσ(^^の存在意義だと理解しています。
どんなにイヤになったとしても、
考え続ければいつかは「いい方法」を思いつくかも知れませんし、
行動力のないσ(^^でもチャンスはやってくるわけで、
「その時」に何も考えていないよりも「成功」をつかむ可能性は高いと思うんです。
例え、果てしない「絶望の繰り返し」だったとしても、です。
車いすハンドボールでもそうだと信じています。
一番最初に経験した時、こんなに楽しいスポーツがあったのねと、
障害者になったことを嬉しく思った程でした(^^
そして、それから十何年かが過ぎ、
車いすハンドボールを取り巻く状況も大きく変わっています。
この先、どれだけ変わるのか解りません。
何かを仕掛ける仕掛けないは別にして、
「いい方向」に向かっていけばいいなと思っています♪
そのためにも、チームメイトや一緒に考えてくれる「仲間」たちは大切にしないと、です(^^
そうそう、車いすハンドボールの「普及」のためにも欠かせないこと。
選手側からの「連盟へのプレッシャー」も忘れてはいけません。
選手独自の活動と連盟の工夫は「車の両輪」のようなものですからね。
もうひとつ、いつ上陸してくるか解らない、
「世界ルール」にも備えていなればならないでしょうか。
突然、「来年から世界ルールで全国大会をするぞ!」なんて言われて、
慌てふためいていては目も当てられません(^^
さて、「車いすハンドボールの今後」と題して続けてきた連載もこれで最終回です。
勝手に中断した上に、だらだら続けてきた割に内容がなかったような気もしてますし、
そのくせ「何だ?この終わりかたは!」と怒られるかも知れませんが、
とりあえず書きたいことは書きました(^^
自分勝手な「すっきり感」とともに、筆を置きます。
....「筆」、持ってないんですけどね(^^
車いすハンドボールの連載、ありがとうございました!
返信削除この先どれだけ変わっていくのか‥、確かにわかりませんが、
大阪においても自分のまわりに一緒に考えてくれる/取り組んでくれる「仲間」が
増えていることを実感しています。
普及活動も、連盟への働きかけに関しても、「いい方向」に向かえていると信じて、これからもしぶとく続けていきたいと思います。