先にも書いていますが、
自助は「リスク回避」、
互助は「リスク分担」でいいと思うんです。
簡単に言えば、「自分の身は自分で守る」と
「みんなで助け合いましょう」ということ。
それはわかるんですが、
「その時」に冷静な判断なんて、
なかなか出来ないでしょうね。
防災訓練が役に立たないのは、
「平時」で「冷静」に取り組めるからです。
「その時」、目の前で家族の頭から激しい出血が!
あなたならどうしますか?
どうしますかといわれても、わかるはずがありませんよね(^^;
応急処置なんて、相当慣れた人でないと出来ませんもの。
てきぱきと出来るのって、お医者様ぐらいかな。
自分や家族がどんな状態であったとしても、
「その時」に考えなくてはならないのは、
「それ以上の被害にしない」ということでしょう。
大けがをしていても、
的確な応急処置なんておそらく出来ませんから、
比較的安全な場所へ移すというのが正解でしょうね。
「頭をぶつけているから動かすな」という状態でも、
余震を考えたら、そこは安全じゃないかも知れない。
となれば、なるべく丁寧に、
でも素早く運んであげる必要があるでしょう。
戸板のような物があれば担架にして、
出血があればきれいな布で押さえて止血。
運び手に余裕があればすぐ避難所へ。
避難所には「救急」が出来ているかも知れない。
他にけが人がいないか確認。
「その時」にいた場所には、他にどんな人がいましたか?
いるはずの人がいないということは、
何かの下敷きになっているという可能性もあります。
助け出すにもひとりじゃ無理かも。
近くの無事な人と協力して救助活動を。
自分にけががなかったら、どんなに動転していても、
周りを助けるということは「義務」みたいなものでしょうね。
「その時」が家にいる時だったら。
とりあえず助かった。
でも、近所の人の顔は知らない。
これでは、ちょっと怖いですよね。
自分は閉じ込められた。
助かったのは隣の人。
その隣人は隣近所のことはサッパリ知らない。
家具の下敷きになっているんだけど、声が出せない。
動けない。
でも、その隣人には、自分が閉じ込められててもわからない。
せめて、普段から挨拶ぐらいしておけば、
気づいてもらえたかも知れないのに。
自分は助かった。
家族は出かけている。
動転している。
とりあえず避難所へ。
隣近所のことは....
次回「互助は人の美しい心」
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