人間というものは、忘れることで、
正気を保つことが出来る動物だと聞いたことがあります。
日々の生活の中で、過去の辛いことを忘れる事が出来るために、
苦悩やストレスから解放されるのだと。
毎日毎日、イヤなことやショックなことがあって、それが全く色あせることなく鮮明なまま、
記憶に積み重なっていけば、きっと早々に発狂してしまうでしょうね(^^;
東日本大震災が風化しつつあると言われてますが、
ただただ、忘れていくだけであるならば、記憶の風化と言われてもさもありなん....
大事なのは、その出来事を「教訓」にするかどうか。
それが出来れば、風化などと言う言葉を使わなくてもいいのではないかと思うのです。
あの大震災の復興が進まない。
2年が過ぎたのに状況はそんなに変わらない。
メディアは「思い出したかのように」、たまに報道する。
でも、そんなに変化がない。
報道される内容も、復興ではなく、復興が進まない被災者がたのご苦労が中心。
メディアの主張は、「復興を加速させろ」で結ばれる....
震災をドラマにしちゃったメディア、そしてそのドラマを「受け入れた」視聴者、
両者にとって、すでに震災は「テレビの中のお話」にしか過ぎません。
そんな繰り返しの生活で、震災が風化していくのは当然のことではないかと思うのです。
何でこんな事を書くかというとですね....
先週の13日、何があったか憶えておられます?
こう尋ねた時、みなさんは何を思い浮かべるでしょうね。
13日早朝と書けば、淡路島の地震とすぐ思い出せるでしょうか。
σ(^^;のまわりでも、13日早朝の地震を誰も話題にしませんし、思い出しもしません。
すでに「風化」してしまっているわけです。
その地震から学ぶこともなしに....
彼の地では、考えていたより被害が少なかったという報道がありました。
阪神淡路大震災の教訓が生きていたとも。
18年前の震災で学んだことを、しっかりと実行したからこそだと思うんです。
記憶は薄れていたかも知れませんが、その教訓は生きていたのでしょう。
それは「風化」などというものとはほど遠く、素晴らしい事だったと思います。
σ(^^;は自宅で初めて、「誤報ではない」緊急地震速報を聞きました。
もし、この速報が彼の地ではなく、すぐ近くの震源から来るものだとしたら....
幸い、舞鶴ではそんなに揺れることなく、被害も出なかったようですれども、
13日早朝の地震は大きな「教え」をくれました。
「その時」、どうすればいいのか?
「その時」までに、どうしておかなくてはいけないのか?
改めて考えていかなくてはいけないでしょうね。
ちなみに、時を同じくして、舞鶴市役所から「舞鶴市地震ハザードマップ」が公表されました。
このハザードマップでは、舞鶴市内の揺れやすさと建物の壊れやすさ、
そして、液状化現象での危険度が例示されています。
淡路島の地震は、特定の断層を想定する無意味さを教えてくれましたので、
ハザードマップにあるように、断層ごとの想定は無意味とは考えます。
にしても、自分たちが住んでいる場所がどんな危険を抱えているのか、
とてもいい資料になっているのではないでしょうか。
舞鶴市民の方は、ぜひ一度、このハザードマップをもとに、
「その時」を想定して、ご家族で話してみてください。
....チョイトリカイニクフウノイルマップデハアリマスガ(^^;
まあ、小難しい事を書きましたが、
防災というのは非常にシンプルな感情がきっかけでいいと思うんですよ。
怖い思いをするのは仕方のないこととしても、
「痛い目に遭いたくない」、
「死にたくない」ということを、
ちょっと意識すればいいことです(^^
ほんの少しでいいですので、防災について考えてみませんか?
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