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2013年8月6日火曜日

不戰而屈人之兵 善之善者也....

ひょんな事から始まった、メディアへの接し方というか....

σ(^^がどのように思っているかを書き連ねています。


昨日は、その「入口」として「先の戦争」を例示しました。

季節柄、解りやすくていいかなと♪

今日はその続きです(^^


いきなりですが、「代表的な兵家(軍事研究者)をひとり挙げよ」という質問があれば、

σ(^^は迷わず、古代中国の孫武を挙げます。

「孫子の兵法」の著者と言えば、お聞きになった方も多いのでは?


その孫武は言いました。「戦わずして勝つことが最良の方法」だと。

大がかりな戦争をしてどんなに勝ち続けたとしても、

それは最もいい勝ち方ではないというわけです。


「戦わずして勝つ」とは、外交や経済その他ありとあらゆる手段を用いて、

相手国に「戦争なんてやってられるか!」と思わせることを指していると解釈しています。

言い換えれば、軍事研究家であった孫武自らが、

紀元前の大昔にはすでに、「戦争しちゃダメなのよ♪」と言っていたわけです。


でも、それ以降も戦争は絶え間なく起きています。

残念ながら、日本も戦争という手段を選びました。


明治維新以来、日本は欧米列強に追いつけ追い越せと「がむしゃら」に突き進みます。

ありとあらゆる犠牲は「国のために仕方がない」ことと切り捨てながら、

あるいは無視しながら....


当時、列強の証明=軍事力だったと言い切ってもいいと思います。


軍事力を高めるためにはお金が要る。

お金がいるから少々無茶をしても産業の近代化を図る。

植民地になる寸前まで追い込まれた日本が生き残るためには、

列強の圧力に抵抗しなければならなかった。

抵抗するためには、「戦争しかない」という暴論を受け入れなければならなかった。

戦争するための借金を「政府公報」で募集した....


孫武も「戦争も仕方のないこと」と認めていて、

少なくともその「余地」が、

「大義のためであれば開戦やむなし」と、

思考を停止させてしまう原因にもなっていたのでしょう。


少し話がそれました。

その「開戦やむなし」という世論が形成され、

突き進んだ結末が「先の戦争」の悲劇だと考えています。


その悲劇を繰り返さないためには、

sasanoel様のコメントにあるように、

ジャーナリズムの役割は「権力の番人」でなければならない、

というのもひとつの考え方でしょう。


影響力の大きいマスコミが、しっかりと国家権力を見張る。

素晴らしい活動だと思いますし、現代国家では必要な存在であるはずです。


ただ、気になっているのは、

「主観的観念的な番人になってませんか?」ということです。


歴史的思考を申し上げれば「事実はひとつ」しかないのです。

ただ、その表現方法次第で、事実がいくつもあるように見せることが出来ます。

主語を入れ替えるだけで「見る角度」が変わり、

そこに「感情」、「主観」や「主義主張」を乗せてしまえば、

いくらでも事実を増やしていくことが出来るのです。


ひとつひとつその例示はしませんが、

あるメディアが「編集した事実」を、

視聴者や読者が「絶対的な真実」だと鵜呑みにすることは、

将来にとても恐ろしい結末を迎える事にもなりかねません。

それは、例え「不可抗力」であったにせよ、「先の戦争」で証明済みです。


では、σ(^^たちはどのようにメディアと向き合えばいいのか?

メディアに何を求めればいいのか?


明日以降、もう少し整理していくことにします。

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