昨日の記事へのコメントでも書きましたが、
ミニスポンサーの室谷嘉一様のご無事が確認できました(^^
本当に嬉しい日です♪
ただ、もっとたくさんの方々が、
無念なお別れをされている事も事実です。
メディアの論調は、原発の事とその対応が中心、
あとは復興へシフトされつつあります。
安否不明の方々、避難所から動けない方々、
葬られ方も決まっていない方々....
がれきの山、無くなった街、失われた農地。
終わらない余震、飛び散る放射能。
揚げられない魚、出荷できない農作物。
風評被害、差別、孤立、絶望....
まだまだ、地獄の真ん中ですね。
まだまだ、気を抜けません。
悲しみ続けるわけにはいきませんが、
まだまだ楽観も出来ないでしょう。
そして、遠い被災地を思う事と同時に、
災害はすぐ隣にあると意識しなければなりません。
これは、山本新之介のテーマのひとつ。
今日は、その勉強のための本を手に入れました。
舞鶴市のご近所、京丹後市が編纂した本です。
昭和2年の北丹後地震、その発生直後から半年の記録が、
詳しくまとめられています。
85年前なんて昔の事、参考にならないなんて思わないで下さい。
電気が止まる。電話は通じない。道路は大渋滞で車が動かない。
状況は今も当時も変わらないと思いません?
まだ少ししか読めていませんが、
その震災当初から、多くの府県から救援があった事に驚きます。
その数17府県!
最も遠いところの福岡県は、震災4日後に丹後入りしています。
また、現在と当時を比べて、軍と自衛隊の違いが興味深いです。
治安維持を名目に、指揮官判断で救援に向かえる軍、
災害派遣要請がないと動けない自衛隊。
フットワークの軽さは比べものにならないですね。
当時、最も早く被災地入りしたのは海軍だったようです。
あ、自衛隊の批判をしているわけではないですよ。念のため。
そんな罰当たりな事は、言えるはずもありません(^^;
ひとつだけ言える事は、本当にたくさんの事を学べそうだという事。
いい本を手に入れました。
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