昨日は、東北の被災者の方々の思いを、しっかりと考えたいなという投稿をしました。
防災というものは、基本的に自分の身は自分で守るということから始まります。
自分を守れない人が、人を助けるなんて事は出来るはずもありませんし、
ましてや「防災行政」になんて携われるわけがありません。
この「自助」という考え方は、あまりにも当たり前だけど、
なかなか自覚が出来ないんですよね。
完璧に取り組む事なんて不可能だとは思いますが、
その意識を常に持ち続けているだけでも、随分と日頃からの行動が変わっていきます。
簡単に言えば、防災を人ごとにしないというところでしょうか。
σ(^^も「その時」のために、完璧に備えているなんてとても言えるクチではないですが、
いつも、何かあったらどうしようかな?と考えているひとりです。
で、そんな中、舞鶴市役所がパブリックコメントの募集をしてましたので、
205ページにもなる膨大な「舞鶴市地域防災計画(一般災害対策編)【案】」の、
隅から隅まで目を通し、50項目を越える意見を突きつけました(^^
この結果が舞鶴市のHPにアップされたので、お時間があればご覧ください。
まあ、内容をひとことで言えば、「なんか、どことなくビミョーに人ごと」なんですよ(^^;
防災計画というものは、そもそも、
災害時、市民が受ける被害を最小限に抑えるために策定されるものと理解しています。
市民ひとりひとりが、
自分の身を守ろうと努力することが前提の上での計画ではあるんですが、
どうも、舞鶴市に「本気度」が感じられないんです。
ごく一部の地域に起こる災害であれば、
行政だけでなく、消防団や自主防災組織というものも機能するでしょうが、
大災害時にはそういった機能がマヒするのは間違いないのです。
その機能マヒを最小限に抑えようとすることそのものが、
「行政の自助」というものであるはずなんですが、
「そんな検討をするつもりなんてさらさらない」という意識が見え隠れしています。
避難所の運営についても、備蓄物資についても、有事の体制整備についても。
さらには、市民の自助意識についてなど、さらっと書いただけ。
市が言っていることを通訳するとこんなところでしょうか。
「お前らの命なんて知るかよ、
生き残りたければお前らで何とかしろ。
こっちはほとんどもらえない予算の中で、
最低限のことは、
しなきゃいけないからしてるだけなんだよ。
大災害?そんなものは起きてから考える!」
というようにしか読めないんですよねぇ....
結局、舞鶴市長や市職員、そして、市民の側にとっても、
大災害は「テレビの中のドラマ」にしか過ぎなくって、
「我が事」のように考えられないんでしょうかねぇ....
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