(だらだら連載もあとわずか^^:)
だらだらと続けてきた連載ですが、
いい加減に結論をつけなければなりません。
てか、暴走気味に突っ走ってきましたから、
自分でも手がつけられなくなっています(^^;
困ったもんだ....
さて、この連載を始めたのは、
「世の中は変えられるのか?」という疑問を、
個人的に整理してみようと目論んだことがきっかけです。
民主主義というシステムには有権者が負う責任があって、
「悪政」の責任は、有権者自らが「次の選挙」で取らなくてはいけない。
でも、自らが選んでいない政治に対して責任を取らなくてはいけない、
というのは世間一般の感覚ではなくなっているように思います。
「政治屋」さんたちの間では、
「最終的には有権者が判断」という常識がありますから、
「次の選挙」で当選すれば、
それまでの活動は認められたと胸を張るわけです。
選挙活動というものがどういうものかは別にして、
極論、「再選されれば何でもあり」の政治の世界。
どうすればいいんでしょうねぇ....(^^;
大胆な発想をしてみましょう。
明治時代の自由民権運動や大正デモクラシーよろしく、
国民の間から、真に改革を求める声が沸き上がり、
そのムーブメントが国政に火をつけ....ることはなさそうだなぁ(^^;
現在のところ低迷しているある政党が、
国の形を真剣に研究し、青写真を描き、
政治が腐敗しないシステムを国民に提示....出来るはずないか(^^;
実は、この日本の政治システムはほぼ完成されていて、
これ以上のものはおそらく望めない。
だから、現状で満足しなければならない。
....このまま満足するなんてイヤです、無理です(^^;
そもそも、「政治屋」さんたちが、
現状のシステムを最良のものと考えていたとしたら、
まず間違いなく改革なんて雰囲気にはなりませんわな。
権力は腐敗すると相場が決まっているのに、
「腐敗しない」と保証する事なんて誰にも出来ません。
このシステムは変えなくてはいけない!と世論調査でもするとして、
じゃあ、どんなシステムが正解なの?なんて誰にもわからない。
で、政治に何とかさせようとするんだけども、どうにも歯切れが悪い。
そもそも自らの身を切るような気っ風のいい人は政治家にはならない?
ああ、何とか連載をまとめようとしてきましたけども、
うにゃうにゃ言うだけで終わってしまうんだろうか....(^^;
次回最終回「人間は考える葦である」
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント、ありがとうございます。