一緒に耐えよう、立ち直ろう!東北! がんばろう!日本!

2012年7月19日木曜日

気持ち解るなぁ....

脱法ハーブ事件。

正確には、脱法ハーブを「キメた輩」がしでかした事件。


人身事故では、とうとう「危険運転致死傷罪」が適用される事態に。

まあ、正常な自分を維持出来なくなるようなものを使うヤツに、

同情の余地はないのですが....


「そんなもん、ふつーにお香で売っているものを、

 適切に香として使って、ラリっちまってもわかんねーよ!

 それで人身事故起こして、居眠り運転と何が違うんだよ!」


何も変わりません!

あなたは人殺しです!!

ちったあ、考えろよ!ぱかヤローが....


無免許居眠り運転もそう。

「無免許」ということは、そもそも、

「自動車を運転する技量を証明することは出来ない」のです。


「免許を持っていない=運転技量がないことにはならない」のではなく、

「免許を持っていないから、運転の技量を証明出来ない」訳です。


この1点だけでも、

現行法令で「危険運転致死傷罪」の適用は可能と考えます。


ましてや、2日2晩寝ていないとか?

証明することは困難かも知れませんが、

運転の技量がない上に、「過労運転」ですか。


救いようがありませんが、

30歳前には出所して、のうのうと生きていけるのでしょうね。

ああ、親の顔を見てみたい(^^


もうひとつ気になるニュースがありました。

大津市の自殺報道の真っ最中ですが、

違うところですが、また子供が飛び降りたという事件が。


たまたまなのかも知れませんが、

もしそうなら....と背筋を冷やしました。


「自殺」というものは、
 
「模倣性」があるそうです。


「自殺の名所」というものが出来るのもそのため。

この、「大津事件」の報道を知った、渦中にある子供たちが....


「誰にも言えないけど、こうすることで問題化出来る」

「ここまで問題になれば、いじめたヤツに仕返し出来る」

「最後の最後に、自分が生きていたことを証明出来る」

なんて事を考え出したら、どうなることでしょう....


深刻ないじめにあっている子供は、

「助けて」と言えないから、思考が停止していくのです。


なぜ、助けてと言えないか?

事情はそれぞれでしょうが、とにかく「言えない」のです。

でも苦しんでいる。

苦しみから救われたいのと同時に、問題も解決したい。


「大津を見習えば....」

なんて事を考える子たちが、日本中に増えなければいいんですが。


繰り返しますが、「自殺」は「模倣性」を伴います。

「同じような境遇」の子たちが、「同じようなこと」をしかねません。

何とかしなければ、同じ事が繰り返されます。

同じような教育委員会や教師たちの犠牲になる子が増えます。


「いじめられている子たち、助けてと声を上げてください」

などと、マヌケな事を言った総理大臣やタレントがいます。

そんなことで、SOSなんて出てきません。


だって、口に出せないからガマンするんです。

ガマンするから苦しむんです。

そして、苦しみから解放される補償がないから口に出せないんです。


「おれ、いじめられてるんだ!ねえ、助けておくれよ!」

なんてことを口に出せる子は、いじめられることはないと思います。


いじめられている子を救ういちばんの方法は、

「いつも見てるから安心して」というメッセージを送ることです。

そして、そのメッセージを理解させ、「裏切らないこと」です。


難しいことではないんですよ。

ただ、声をかけるだけ。


「おはよう!」

この一言でいいんです。


「どうよ?」

この一言でいいんです。


「また明日な!」

この一言でいいんです。


「いつも見てるから」と言う気持ち、

そして、その気持ちを保ち続けること。

これだけで十分です。


「助けて欲しい」と声をかけて、なんてのは、「強い人」の驕りです。

「助けて」と声を出せない子たちが、究極の選択をするのです。

....いや、ちょっと違うな。


「助けて」と声を出せない「人」たちが、究極の選択をするのです。

この点、大人も子供も変わりません(^^;


(ああ、これは長くなるな....(^^;)


そもそも、「自殺」の動機というものは、

「楽になりたい」ということに他なりません。

自分が「楽になりたい」のか、

自分が「他者を楽にしてやりたい」のか。


無論、理性ではなく本能的に「選択」してしまいますから、

無意識に、その時のイメージをたどってしまう。


だから、「名所」に足が向く。

だから、「有名な方法」を実行する。


(ああ、また自分のことを書いてしまう....(^^;)


足を潰した時、σ(^^;は「楽になりたい」ということを、

選びかけたことがあります。

それも何度か....


今でこそ、偉そうなことを宣っていますが、

「楽になりたかった」のです。

激痛とモルヒネ(?)の繰り返しの日々は特に。


でも、その「楽になりたい」という欲求よりも、

ほんの少しだけ強かった快楽があります。

「友人たちの見舞い」です。


毎日毎日、入れ替わり立ち替わり、

次から次へと友人たちが病室まで来てくれました。

いつぞや、「死にたい」なんて考えることはなくなっていました


「自殺」を止めるということは、こういう事ではないでしょうかね。


「そんなもん、オレには友達なんていねーし!

 親も、腫れ物を触るように見てるし、

 先生だって仕事だから、生徒の「深いところ」は興味ないだろうし」

ごもっともと思います。


「その選択」をする人というのは、

「絶望のうち」に「楽になりたい」という欲求を持つからです。


「絶望」だけを感じながら、「人に助けを求めて」まで、

「その選択」を撤回する人はいないと思います。

「自分自身で」絶望を振り払える欲求を持つ人間は、

「絶対に」自殺なんてしないからです。


「自殺」を止めようとして、

「助けて」という声を期待している人は、

その考えを改めるべきです!


一度だけ、はっきりと言います!

誤解されても、社会を敵に回してもいい覚悟で、

言葉を選ばずに言います。


「自殺志願者」は、

「自分の力」では、

「そこ」から戻ってなんか来ません!


ひとりにしてしまうと、

「そのひと」は「最も強い欲求」に身を任せるでしょう。


「助けてと言えよ」、なんて言う暇があったら、

あなたが!声を!かけましょうよ!


たった一言、

「おはよう!」と....


えっと....

最近は、暴走続きです(^^;

変ですか?σ(^^;

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デブデブ・ストーナー様のコメント

「そういう所がG新之介の良い所でしょぉ(笑)」


ありがとうございました!

そうおっしゃって頂けると嬉しいのですが、
最近、こう思う時がよくあります。

「ああ、楽になりてぇ....」
「早くお迎えが来ないかな....」

だから、お願いします!
できれば、「あの方」限定ですが、声をかけてください!

「おはよう!」と(^^

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人生80年。

まだ半分ですなぁ♪

1 件のコメント:

  1. 模倣性は昔から強く思います。あまりニュースにしないほうがよいのではないかと しかし、大津は明るみに出なかったら…。真実はまだ見えてませんけど…。しんのすけさんのいう「自分でそこに帰ってきやしない」勉強になりました。つかず離れず、声かける。大事ですね。

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コメント、ありがとうございます。