正確には、脱法ハーブを「キメた輩」がしでかした事件。
人身事故では、とうとう「危険運転致死傷罪」が適用される事態に。
まあ、正常な自分を維持出来なくなるようなものを使うヤツに、
同情の余地はないのですが....
「そんなもん、ふつーにお香で売っているものを、
適切に香として使って、ラリっちまってもわかんねーよ!
それで人身事故起こして、居眠り運転と何が違うんだよ!」
何も変わりません!
あなたは人殺しです!!
ちったあ、考えろよ!ぱかヤローが....
無免許居眠り運転もそう。
「無免許」ということは、そもそも、
「自動車を運転する技量を証明することは出来ない」のです。
「免許を持っていない=運転技量がないことにはならない」のではなく、
「免許を持っていないから、運転の技量を証明出来ない」訳です。
この1点だけでも、
現行法令で「危険運転致死傷罪」の適用は可能と考えます。
ましてや、2日2晩寝ていないとか?
証明することは困難かも知れませんが、
運転の技量がない上に、「過労運転」ですか。
救いようがありませんが、
30歳前には出所して、のうのうと生きていけるのでしょうね。
ああ、親の顔を見てみたい(^^
もうひとつ気になるニュースがありました。
大津市の自殺報道の真っ最中ですが、
違うところですが、また子供が飛び降りたという事件が。
たまたまなのかも知れませんが、
もしそうなら....と背筋を冷やしました。
「自殺」というものは、
「模倣性」があるそうです。
「自殺の名所」というものが出来るのもそのため。
この、「大津事件」の報道を知った、渦中にある子供たちが....
「誰にも言えないけど、こうすることで問題化出来る」
「ここまで問題になれば、いじめたヤツに仕返し出来る」
「最後の最後に、自分が生きていたことを証明出来る」
なんて事を考え出したら、どうなることでしょう....
深刻ないじめにあっている子供は、
「助けて」と言えないから、思考が停止していくのです。
なぜ、助けてと言えないか?
事情はそれぞれでしょうが、とにかく「言えない」のです。
でも苦しんでいる。
苦しみから救われたいのと同時に、問題も解決したい。
「大津を見習えば....」
なんて事を考える子たちが、日本中に増えなければいいんですが。
繰り返しますが、「自殺」は「模倣性」を伴います。
「同じような境遇」の子たちが、「同じようなこと」をしかねません。
何とかしなければ、同じ事が繰り返されます。
同じような教育委員会や教師たちの犠牲になる子が増えます。
「いじめられている子たち、助けてと声を上げてください」
などと、マヌケな事を言った総理大臣やタレントがいます。
そんなことで、SOSなんて出てきません。
だって、口に出せないからガマンするんです。
ガマンするから苦しむんです。
そして、苦しみから解放される補償がないから口に出せないんです。
「おれ、いじめられてるんだ!ねえ、助けておくれよ!」
なんてことを口に出せる子は、いじめられることはないと思います。
いじめられている子を救ういちばんの方法は、
「いつも見てるから安心して」というメッセージを送ることです。
そして、そのメッセージを理解させ、「裏切らないこと」です。
難しいことではないんですよ。
ただ、声をかけるだけ。
「おはよう!」
この一言でいいんです。
「どうよ?」
この一言でいいんです。
「また明日な!」
この一言でいいんです。
「いつも見てるから」と言う気持ち、
そして、その気持ちを保ち続けること。
これだけで十分です。
「助けて欲しい」と声をかけて、なんてのは、「強い人」の驕りです。
「助けて」と声を出せない子たちが、究極の選択をするのです。
....いや、ちょっと違うな。
「助けて」と声を出せない「人」たちが、究極の選択をするのです。
この点、大人も子供も変わりません(^^;
(ああ、これは長くなるな....(^^;)
そもそも、「自殺」の動機というものは、
「楽になりたい」ということに他なりません。
自分が「楽になりたい」のか、
自分が「他者を楽にしてやりたい」のか。
無論、理性ではなく本能的に「選択」してしまいますから、
無意識に、その時のイメージをたどってしまう。
だから、「名所」に足が向く。
だから、「有名な方法」を実行する。
(ああ、また自分のことを書いてしまう....(^^;)
足を潰した時、σ(^^;は「楽になりたい」ということを、
選びかけたことがあります。
それも何度か....
今でこそ、偉そうなことを宣っていますが、
「楽になりたかった」のです。
激痛とモルヒネ(?)の繰り返しの日々は特に。
でも、その「楽になりたい」という欲求よりも、
ほんの少しだけ強かった快楽があります。
「友人たちの見舞い」です。
毎日毎日、入れ替わり立ち替わり、
次から次へと友人たちが病室まで来てくれました。
いつぞや、「死にたい」なんて考えることはなくなっていました。
「自殺」を止めるということは、こういう事ではないでしょうかね。
「そんなもん、オレには友達なんていねーし!
親も、腫れ物を触るように見てるし、
先生だって仕事だから、生徒の「深いところ」は興味ないだろうし」
ごもっともと思います。
「その選択」をする人というのは、
「絶望のうち」に「楽になりたい」という欲求を持つからです。
「絶望」だけを感じながら、「人に助けを求めて」まで、
「その選択」を撤回する人はいないと思います。
「自分自身で」絶望を振り払える欲求を持つ人間は、
「絶対に」自殺なんてしないからです。
「自殺」を止めようとして、
「助けて」という声を期待している人は、
その考えを改めるべきです!
一度だけ、はっきりと言います!
誤解されても、社会を敵に回してもいい覚悟で、
言葉を選ばずに言います。
「自殺志願者」は、
「自分の力」では、
「そこ」から戻ってなんか来ません!
ひとりにしてしまうと、
「そのひと」は「最も強い欲求」に身を任せるでしょう。
「助けてと言えよ」、なんて言う暇があったら、
あなたが!声を!かけましょうよ!
たった一言、
「おはよう!」と....
えっと....
最近は、暴走続きです(^^;
変ですか?σ(^^;
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7月19日(木):「やってることは変わんねぇなぁ....」
デブデブ・ストーナー様のコメント
「そういう所がG新之介の良い所でしょぉ(笑)」
ありがとうございました!
そうおっしゃって頂けると嬉しいのですが、
最近、こう思う時がよくあります。
「ああ、楽になりてぇ....」
「早くお迎えが来ないかな....」
だから、お願いします!
できれば、「あの方」限定ですが、声をかけてください!
「おはよう!」と(^^
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人生80年。
まだ半分ですなぁ♪
模倣性は昔から強く思います。あまりニュースにしないほうがよいのではないかと しかし、大津は明るみに出なかったら…。真実はまだ見えてませんけど…。しんのすけさんのいう「自分でそこに帰ってきやしない」勉強になりました。つかず離れず、声かける。大事ですね。
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