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2011年7月7日木曜日

防災(連載):互助はどうする?....

先にも書いていますが、

自助は「リスク回避」、

互助は「リスク分担」でいいと思うんです。


簡単に言えば、「自分の身は自分で守る」と

「みんなで助け合いましょう」ということ。


それはわかるんですが、

「その時」に冷静な判断なんて、

なかなか出来ないでしょうね。


防災訓練が役に立たないのは、

「平時」で「冷静」に取り組めるからです。


「その時」、目の前で家族の頭から激しい出血が!

あなたならどうしますか?


どうしますかといわれても、わかるはずがありませんよね(^^;

応急処置なんて、相当慣れた人でないと出来ませんもの。

てきぱきと出来るのって、お医者様ぐらいかな。


自分や家族がどんな状態であったとしても、

「その時」に考えなくてはならないのは、

「それ以上の被害にしない」ということでしょう。


大けがをしていても、

的確な応急処置なんておそらく出来ませんから、

比較的安全な場所へ移すというのが正解でしょうね。


「頭をぶつけているから動かすな」という状態でも、

余震を考えたら、そこは安全じゃないかも知れない。

となれば、なるべく丁寧に、

でも素早く運んであげる必要があるでしょう。


戸板のような物があれば担架にして、

出血があればきれいな布で押さえて止血。

運び手に余裕があればすぐ避難所へ。

避難所には「救急」が出来ているかも知れない。


他にけが人がいないか確認。

「その時」にいた場所には、他にどんな人がいましたか?

いるはずの人がいないということは、

何かの下敷きになっているという可能性もあります。


助け出すにもひとりじゃ無理かも。

近くの無事な人と協力して救助活動を。


自分にけががなかったら、どんなに動転していても、

周りを助けるということは「義務」みたいなものでしょうね。


「その時」が家にいる時だったら。

とりあえず助かった。

でも、近所の人の顔は知らない。

これでは、ちょっと怖いですよね。


自分は閉じ込められた。

助かったのは隣の人。

その隣人は隣近所のことはサッパリ知らない。

家具の下敷きになっているんだけど、声が出せない。

動けない。

でも、その隣人には、自分が閉じ込められててもわからない。

せめて、普段から挨拶ぐらいしておけば、

気づいてもらえたかも知れないのに。


自分は助かった。

家族は出かけている。

動転している。

とりあえず避難所へ。

隣近所のことは....


次回「互助は人の美しい心」





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