これを2割程度と考えるか、
自助とあわせて「9割」を完成させるか。
考え方はそれぞれかも知れません。
今回の震災においてσ(^^が感じたことは、
大抵の人は無意識に「お互い助け合う」、
美しい心をお持ちだということです。
「互助」の考え方は、おそらく人の心の中に、
自然と備わっているものなのでしょうね。
ただひとつ残念なのは、「その時」には助け合えるのに、
「平時」においては人間関係というものに対して、
無頓着ではないかと思うことがままあります。
σ(^^;もその一人ではあるのですが....
あまり干渉されたくないという気持ちと、
干渉したくないという気持ちがあるものですから、
お隣ご近所のことをそんなに、
すすんで知ろうともしないのは確かです。
現実に、お隣ご近所について、
何もかも知っている必要はないのですが。
ただ、どの家は何人暮らしで、
どんな方がおられるかぐらいは知っておいた方が、
「互助」はスムーズに取りかかれると思うんですよね。
近所の誰がどうなろうと知らねーや、
という人には大きなお世話かも知れませんが。
でも、そんな人でもケガしてたり、
閉じ込められたりしてたら、
σ(^^は助けようとするでしょう。
もともと、人間ってそういう気持ちを持ってるものなんですよね。
ですので、自然と助け合うように出来るんです。
その時にほんの少しだけでも、
お隣ご近所の事を知ってると、
もっと助け助けられる事が多くなるでしょう。
お出かけ中の「その時」でも同じです。
無事に「その時」を凌いだとして、
そこから「被災者」として振る舞うのか、
少しでも「互助」に務めようとするかでも、
違うと思うんですよね。
すぐ近くにいるケガされた方とか、
救助すべき方もたくさんいることでしょう。
2次災害は避けなければなりませんし、
まずは安全な場所へ移動しなければなりません。
これ以上のリスクを抱えなくてもいいように、
見知らぬ間柄でも助け合えれば....
そうは言っても、それぞれの環境で、
出来ることは大きく変わってくると思います。
もちろん、全てのことに備えるのは不可能ですが、
「その時」にはとにかく落ち着くことですね。
落ち着いていれば見えてくることもあります。
ただ、現実に自助と互助、
そんなきれいに状況が分けられることでもないでしょう。
ですので、次回は状況をいくつか想定してみます。
「この街はどんな顔?」

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