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2011年7月25日月曜日

防災(連載):一瞬の判断?そんなの(以下略)....

前回の続きです^^;)

公務員だなんだと偉そうにしていても、

所詮はただの世間知らず。

今まで、かなりの方々に言われてきた言葉です。

本当にそうだと思いますよ。


「その時」直後のパニックは、どこでも起きます。

しかし、行政としては、

そのパニックからどれだけ早く抜け出せるかが、

「公助」に移行するためのポイントですな。


幸いにして、σ(^^の頭上に落ちてきたものはなく、

入れたての熱いコーヒーが太ももの上に零れたぐらいでした。


さあ、怒濤のような状況を箇条書きで書いてみましょう(^^


揺れが治まって....

係内の安否確認。

室内の負傷者の救護。

部内の対応を統合するための情報担当を、

負傷していない職員から複数名、在所最高職務者直下へ配置。

安否確認の範囲を部内に広げる。

在庁者のうち、無傷及び重軽傷者数、外出者数の確認。


情報担当2名は、

1F総務と連絡を取るために階段を駆け下りるが、

液状化現象により庁舎そのものが沈降しており、

地中から吹き出した泥水が1Fフロアを満たしている。

情報担当1名はその状況をすぐさま上げてくる。

もう1名は総務との連絡を取るために泥の中へ。


総務では、庁舎内自家発電機を起動、

防災行政無線を開線しようとしたが、

発電機は泥の中。起動不可能。


庁内LANで接続されたノートPCなら、バッテリー駆動が可能。

外部との連絡を試みる。

幸い、サーバーとの接続には影響がなく、

本庁とのメール送受信は可能。


しかし、唯一の通信手段を確保できたという安堵も数分。

この庁舎では、節電対策のため、

スイッチつきのコンセントタップを使用しており、

夜間はPCへの通電は絶ってあった。


毎晩毎晩、ノートPCはフル放電を繰り返し強制され、

バッテリーはその性能を保持していなかった。

庁内全てのノートPCが停止するまでに5分弱。


外部からの情報を得る唯一の方法は、

職員が個人で契約した災害メールの配信のみ。

かろうじて携帯メールの配信は行われ、

リアルタイムでないにせよ貴重な情報を得られる。


地震関連情報のメールによれば、

京都府北部震源、津波の心配なし、舞鶴市震度6強。


泥に埋まった1Fをとりあえず放棄し、

負傷者を含め全員が2Fに集合。

無傷の在庁者の中で指揮命令系統を確立、対応を検討。

余震が続く中、

液状化現象により傾斜がすすむ庁舎の、

放棄が決定されたのは、その30分後。


この撤収は、近所の岸壁に掃海艇で接岸した、

海上自衛隊の多大なる協力を頂いてのものであった....と。


この程度ですめば上々なのですが....(^^;




次回「ところが現実はこんなもの?」

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