(前回の続きです^^;)
公務員だなんだと偉そうにしていても、
所詮はただの世間知らず。
今まで、かなりの方々に言われてきた言葉です。
本当にそうだと思いますよ。
「その時」直後のパニックは、どこでも起きます。
しかし、行政としては、
そのパニックからどれだけ早く抜け出せるかが、
「公助」に移行するためのポイントですな。
幸いにして、σ(^^の頭上に落ちてきたものはなく、
入れたての熱いコーヒーが太ももの上に零れたぐらいでした。
さあ、怒濤のような状況を箇条書きで書いてみましょう(^^
揺れが治まって....
係内の安否確認。
室内の負傷者の救護。
部内の対応を統合するための情報担当を、
負傷していない職員から複数名、在所最高職務者直下へ配置。
安否確認の範囲を部内に広げる。
在庁者のうち、無傷及び重軽傷者数、外出者数の確認。
情報担当2名は、
1F総務と連絡を取るために階段を駆け下りるが、
液状化現象により庁舎そのものが沈降しており、
地中から吹き出した泥水が1Fフロアを満たしている。
情報担当1名はその状況をすぐさま上げてくる。
もう1名は総務との連絡を取るために泥の中へ。
総務では、庁舎内自家発電機を起動、
防災行政無線を開線しようとしたが、
発電機は泥の中。起動不可能。
庁内LANで接続されたノートPCなら、バッテリー駆動が可能。
外部との連絡を試みる。
幸い、サーバーとの接続には影響がなく、
本庁とのメール送受信は可能。
しかし、唯一の通信手段を確保できたという安堵も数分。
この庁舎では、節電対策のため、
スイッチつきのコンセントタップを使用しており、
夜間はPCへの通電は絶ってあった。
毎晩毎晩、ノートPCはフル放電を繰り返し強制され、
バッテリーはその性能を保持していなかった。
庁内全てのノートPCが停止するまでに5分弱。
外部からの情報を得る唯一の方法は、
職員が個人で契約した災害メールの配信のみ。
かろうじて携帯メールの配信は行われ、
リアルタイムでないにせよ貴重な情報を得られる。
地震関連情報のメールによれば、
京都府北部震源、津波の心配なし、舞鶴市震度6強。
泥に埋まった1Fをとりあえず放棄し、
負傷者を含め全員が2Fに集合。
無傷の在庁者の中で指揮命令系統を確立、対応を検討。
余震が続く中、
液状化現象により傾斜がすすむ庁舎の、
放棄が決定されたのは、その30分後。
この撤収は、近所の岸壁に掃海艇で接岸した、
海上自衛隊の多大なる協力を頂いてのものであった....と。
この程度ですめば上々なのですが....(^^;
次回「ところが現実はこんなもの?」
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