アスリートコンプライアンスという言葉、障害者と社会との関係。
一見、そんなに関係ないようなふたつの言葉ですが、
泥臭く絡めてしまえば、いい方向の人間関係が築けるのでは?なんて考えます。
エリートスポーツではそれぞれのアスリートが、
働いて稼ぎ出した所得では、絶対に世界の頂点を狙うことは出来ません。
ですから、スポンサーシップ契約で支払われる協賛金で活動することになります。
これは「契約」ですので、当然、重い責任がついて回ります。
「契約内容だけ履行していればいいや。それ以外は自由だ」なんて考えでは、
相当なキャラクターの持ち主でない限り、スポンサーは離れていくでしょう。
活動を続ける以上、応援していただけるスポンサーやファンを
大切にしなければなりませんし、
あまり興味を示してもらえない人たちの目もおろそかに出来ません。
アスリートという存在には、「理想とする人間像」が求められているはずです。
障害者という存在はどうでしょう。
σ(^^;の場合は、自業自得の大事故を起こしてしまい、
さんざんご迷惑をおかけしてにもかかわらず、こうして生かしていただきました。
決して運がよかったというわけではなく、いろんな方に助けていただいたおかげで、
生きているどころか、障害も比較的軽いものにとどまりました。
本当にありがたいことだと思っています。
σ(^^;よりはるかに重度の障害の方がおられることは
十分承知していますが、あえて言いたいと思います。
大なり小なり障害者は生かしていただいている、社会に守られていると。
だからこそ、助けていただいていることを、
目に見えなくても社会に支えていただいていることを
忘れてはいけないと思います。
この世に、望んで障害者になった人はいないでしょうが、
お世話になったことに対しては、「ありがとう」と言いたいものです。
次回「アスリートも障害者も、善意や理解にはありがとうと言おう」
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