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2010年6月7日月曜日

障害者のエリートスポーツは....

健常者のエリートスポーツは本当に、消費されるものになってきました。


スポンサーとの連携によって、CMなどでPRされ、

大きな大会前にはメディアの注目度がどんどん上がり、

いい成績が出れば英雄、残念な結果であれば露出も少ない。

勝敗がはっきりと定義され、勝つことを求め求められるアスリートにとって、

それは当然のことなのかも知れません。


障害者のエリートスポーツも同様の傾向があります。

健常者や障害者といった区別は関係なしに、

エリートスポーツとはそういうものでしょう。


だからこそ、叩き出した好成績には惜しみのない賞賛が送られ、

あこがれや感動の対象になる。

そして、その選手の好感度が高ければ高いほど、

スポーツはすばらしいものであると認知してもらえることとなります。


言うまでもなく、競技の種類を問わず、

厳格な審判のもとに行われる勝負には見所が満載です。


障害者スポーツはそういう意味を含めて、

観戦することは二度お得なのです。


それは、選手の人間性をより理解して、

感情を入れ込むチャンスがあるということです。

前回の投稿でも書きましたが、

心の底から「ありがとう」と言える選手が放つ光は、

とても輝かしいものがあります。


先のバンクーバーパラリンピックでのメダルラッシュ、

特に、アルペンの狩野亮選手が金メダルを獲得した時に、

チームキャプテンの森井大輝選手が流した涙は、

障害を乗り越えてがんばった!というものではなく、

応援に支えられ、チームで勝つためにがんばってきた4年間に対する、

感謝と努力からくる素直な感情でした。


決して華やかなだけではない、とても泥臭い人間の感情が、

オリンピックでは味わえない名場面が障害者スポーツにはあります。


そんな1シーンにいられるよう、

まだまだ足りないところを、σ(^^は磨いていかなくてはなりません。

涙は、TVの前で流す悔し涙ではなく、喜びを共感するものでありたい。

そう、強く思います。


次回最終回「放たれる光は画面の中だけのものではもったいない」

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